25 記憶の中にあるもの
「本当に変わってないな。あ、ここの襖の破れ、結局直さなかったのか」
過去の記憶から、勝手知ったる家に足を踏み入れたは、そんなことを言いながら辺りを見回した。
後に続いたこの家の主である篠崎は憮然として思う。
変わっているはずが無い。
彼女が出て行って、まだ一年だ。
篠崎は制服も着替えぬまま台所へ向かい、一応の客人を持て成すための茶を用意する。
その間もは、懐かしいのか部屋のあちこちを見回って。
一人で住むには少々広いが、それほど大きな家というわけでもない。
居間にいるの声は、問題なく篠崎に届いている。
「なぁ、篠崎」
「………なんだ」
不意に背後から聞こえてきた声が予想外に近くて、篠崎は面には出さず驚いた。
ああ、そうだ。
その必要も無いのに気配を消して動き回るのは彼女の癖だった。
振り返りもせず釜に火をくべて、湯を沸かしている間に急須と湯飲みを用意する。
は土間を行き来する篠崎を眺めやりながら、軽く腕を組んだ。
僅かに首を傾けて。
「湯飲み、捨ててなかったのか」
「…………」
言われてから、気づく。
戸棚から篠崎が出してきた湯飲みは二つ。
一つはいつも愛用している自分のもので、もう一つは、奥にしまい込みもせず、けれどこの一年間、一度として触れられることの無かった湯飲み。
それは本来なら持ち主を失って、とうに売られるか捨てられるかしているはずのもので。
かつての習慣からか、さも当然のようにそれを手にしてしまった篠崎は、内心の動揺を晒すまいとわざと呆れた表情を見せた。
「売るほども品が良くなくてな。今じゃ来客用だ」
彼女の勘の鋭さを知っているから、誤魔化し方だって心得ている。
茶葉を入れるために背を向けてしまえば、はそうかと呟いただけだった。
茶菓子なんて気の利いたものは無いぞと言いながら、湯を満たした急須を持って居間の方へと促す。は黙ってそれに従った。
居間の中央に置かれた、小ぢんまりとしたちゃぶ台。
促されたが座ったのは、以前彼女がここに住んでいたとき、いつも座っていた場所。
「………………」
篠崎はそれに気づかないふりをして、自分も腰をおろした。
茶だんすの上に置いた時計の秒針が、軽薄な音をたてている。
先程までは夕日が差し込み、明かりをつける必要もないかと思っていたが、いつの間にやら室内は薄暗くなっていた。
篠崎はおもむろに立ち上がると、部屋の隅にひっそりと立っている行灯に火を灯す。
「なあ、篠崎」
その背中に、は先程と同じ言葉で呼びかけた。
今度はその場所から動かずに。
だから呼びかけられたほうも、背中を向けたまま、なんだと返して。
「…………何も、訊かないのか?」
「訊けば話すのか?」
その言い方はどこか非難されているようで、その実、こちらから話しだすのを待ってくれているのだということは、尋ねずともわかることだった。
戻ってきた篠崎が茶を一口すするのを見届けてから、は静かに口を開く。
彼の好意に甘えることもできたけれど、まさか何も告げずに済ませられるはずが無い。
一年前、ここを出て行くことになったとき、いや、それ以前からずっと長い間、彼には世話になり通しだったのだから。
彼は、全てを知る人間の一人だ。
「………志々雄のことは、知っているか?」
なにから話すべきか悩んだ挙句、はそう問い掛ける。
本当に告げなければならない内容から若干逸れているのは、わざとではないはずだ。
しかし篠崎は、の口からその名が出てきたということに眉根を寄せた。
そこに現れているのは、強い疑問と驚愕にも似た僅かな動揺。
「なんで、お前が知ってる………」
知っているはずが無いと、篠崎の瞳は語っている。
確かに志々雄真実による被害はその範囲を広げてはいるが、明治政府によってきつく緘口令が敷かれているのだ。
一般民に、現在起きていることの情報が漏れることはない。
そしては、以前はどうあれ今は確かに一般民であるはずで。
ましてや、今は亡き桂小五郎が今際の際に結んだ約束があるかぎり、彼女の立場が揺らぐはずは無いのに。
それが、何故。
は、篠崎が一瞬のうちに巡らせた疑問と憤りとを、その視線を交わすことで正確に察した。
そして苦笑を浮かべる。
彼は今おそらく、かつて先生と呼び慕い、維新の最先鋒に立ってなお揺らぐことなど知らなかった、偉人と呼ぶに相応しい彼の人の姿にすら、容赦の無い疑惑の念を抱いているに違いない。
ましてや彼の人の交わした約束の、その内容と所在に明るいが故に、覚える負の感情もひとしおなのだろう。
は、結局ここまで語ることになるのかと、諦めに近い笑みをもらした。
「のっぴきならない緊急事態ゆえ、不義を承知でのことだそうだ。大久保さんは、全てが終わった暁には桂さんの墓前で腹も切ると、私に言ったよ」
結局それを口にした本人は、全ての終結を待たずに帰らぬ人となったのだけれど。
果たされる術を失ったその言葉はしかし、主人と共に消え去ることはなく、こうして二人の人間を過去の古巣へと導いたのだ。
二度と戻ることはないと、どちらも信じて疑わなかったこの場所へ。
「東京に、いたのか」
「ん?」
ぽつりと落とされた篠崎の呟きに、はそちらへ視線をむける。
決して明るくない表情をしている男に、わざと首をかしげて。
あるいはこの次にくる質問も予測していたのかもしれない。
それでも、不意をつかれたのは確かだった。
「緋村は、どうした」
「……………」
絡まる視線に、は動きを止める。
問答無用で核心をつく問いに、この男はこんなにも直球勝負な人間だったろうかと考える。
たしか自分が知る頃にはもっと、どちらかといえば策士の色の濃い人材だったはずなのだけれど。
逃げることを許さないその視線に、は口を割らざるを得なかった。
いや、むしろ好都合と言うべきかもしれない。
どうやって切り出すべきか、自分は悩んでいたのだから。
は溜め息をついて言う。
「東京で会ったよ。変わってなかった………いや、変わったかな。口調とか、人当たりとか、そういうのが。東京の町道場に居候してて、そこに私もしばらく世話になってて、それで………」
その時点でもう既に、篠崎は驚きと困惑と怪訝をありありとその顔に浮かべていた。
けれどは身体を斜に構え、虚空を見つめて続きを口にする。
それは、あってはならないはずの現実。
「ここに、剣心も来てる―――」
苦笑が、行灯の光によってできる影の落ちたの顔を彩っていた。
篠崎は目を見開く。
今耳にした内容が、どれもこれも理解できない。
彼は、が一年前にここを出て行った理由を知っている。
彼女がただひたすらに、緋村という男の姿を求めていたことを知っている。
けれどそれは、共に生きるためではなかった。
ましてや同じ屋根の下で、同じ時を過ごすためでもなかった。
彼女はただ、唯一の望みを叶えるために、その男を捜していたはずなのだ。
そして再会を果たしたその瞬間に、全ては終わりを告げるはずで。
それなのに。
彼女は今、こうして目の前で笑んでいる。
そして口にするのは、捜し求めていた男の姿。
未だ、その奥深くに、病んだ色をほのめかす笑みを浮かべて。
新政府と彼女との間で交わされた約束がある限り、揺らぐことのない己の望んだ人生を歩んでいるはずの。
その男がいま、この街にいるのだと、言う。
「………どうして」
口をついて出た言葉は、あまりにも陳腐だった。
けれど今の篠崎に、これ以上のことを言える自信はない。
は僅かに小首をかしげる。
「言っただろう? 大久保さんは、全てが終わった暁には腹も斬るって………」
「それは大久保先生と桂先生の問題だ。お前には関係ない」
思いのほか強い篠崎の口調に、は眉を上げた。
冷静沈着を売りにしているのだと、昔から己で豪語してはばからなかったこの男にしてはめずらしい。
は笑って言う。
「どうしたんだ、篠崎? あんたらしく………」
「俺らしくないって?」
何気なくこぼれでたのだろう言葉を聞きとがめ、篠崎は眉を跳ね上げた。
何故かその言葉が、無性にカンに障ったのだ。
いつもの自分はこうではない。今日は少し、おかしいのだ。
そう、彼女が自分の前に姿を見せた昼間から、どうもおかしい。
それに加え、らしくないと言う彼女が少しも、昔と変わっていなくて。
その思考も、身のこなしも、姿かたちも。
―――その瞳の奥に息づく、おぼろげな病んだ光さえ。
彼女だけが、変わってはいなくて。
そのことが、無性に篠崎の神経を逆なでている。
「ああ、そうだろうな。一年前出て行ったお前にとっては、今の俺は別人も同然だろうさ」
その投げやりな口ぶりに、は目を瞬いた。
彼とは幕末以来の付き合いだったが、こんな言い方をする所は一度も見たことがない。
仏頂面で湯飲みを傾ける様は、かつてこの国の行く末について、他の志士たちと無益で実りのない討論を繰り広げた後のそれに似ているのだが。
はきょとりとしたまましばらくその顔を見やり、そして不意に視線を手元に落とした。
目の前には、一年前まで自分が愛用していた小ぶりの湯飲み。
飾り気はなく、どちらかといえば質素で、もうとうに捨てられているはずだったそれ。
「………すまないとは、思ってる。あんたにとってはもう、一年前のあの日に、全部終わったはずだったのにな」
自分がこの家を、街を離れ、旅に出たその時に。
彼にとっては全てが終わり、そして自分は全てを終わらせるために旅立ったはずだった。
篠崎は、目の前に座るかつての同居人のその他人行儀な口ぶりに、僅かに目を細めはしたが、口から湯飲みを離すことはなかった。
黙したまま、ここではないどこかを見つめるの声を、ただ耳に入れている。
「あれだけ散々迷惑も厄介もかけておいて、ようやく切りをつけたと思ったら………。結局、こうしてのこのこ戻ってくる始末だ」
「のこのこと、利用されるためにな。それもわざわざ二人揃って」
篠崎の苦々しい口調に、は苦笑を浮かべる。
彼の言うとおりだった。
国のため、維新のためといいながら、その実いいように利用されていることなど始めからわかっている。
いや、それよりもむしろ、最初に維新のための駒となることを望んだのは、己自身ではなかったか。
は静かに笑んだまま言った。
「仕方ないのさ。結局私も剣心も、そういう役回りなんだ」
駒にはそれぞれ、果たすべき役目がある。
それは、指導者という名の駒であってさえ同じなのだ。
人は時にそれを、宿命とか運命とか呼んだりするが。
「お人よしにもほどがあるな」
端的に言ってしまえばそういうことだった。
正直者は損をするが、お人よしも負けず劣らず貧乏くじを引き当てる。
も剣心も心根の真っ直ぐな正直者ではなかったが、二人揃って救いようのないお人よしだった。
篠崎はそう思っている。
自己犠牲による身勝手な自己陶酔に浸る輩は引きも切らないが、この二人の場合はそれ以前の問題で、それが自己犠牲なのだということにすら気づかない。
そしてふと気づいた時にはもう遅く、貧乏くじの渦中に深く入り込んでしまっているのだ。
それは十年経った今でも変わっていないらしい。
篠崎にはそれが腹立たしかった。
まだガキだったあの頃ならいざ知らず、それなりに歳を重ねたのなら、それに見合うだけの大人のたしなみというものを身につけるべきなのだ。
しかし篠崎はそれを口にすることはしない。
言ったところで何の意味もなさないことを、彼はよく知っていた。
不意におちた沈黙にはふと顔をあげ、篠崎に向かって首をかしげる。
「怒ってるのか」
「怒っちゃいない。呆れてるだけだ」
そう、今も昔も。
彼女の不器用な振る舞いとその無自覚さに、呆れて物が言えないだけだ。
けれど篠崎には一つだけ、どうしても聞いておかなければならないことがあった。
「それで………お前はこれからどうするつもりなんだ。志々雄真実を殺して、その後は?」
「……………」
沈黙するに、困惑の色は窺えない。
ただ静かに、机の上にある手の中の湯飲みに視線を落として。
「―――さぁ、どうしようか。選択肢は、増えたんだけどね………」
志々雄のおかげで、と。
そう言って口を歪めるに、篠崎は眉をひそめた。
その言葉の意味するところを正確に察したのだ。
彼女は見出していた。
新たな結末ではない。
ただ一つの結末にたどり着くための、もう一つの道を。
湯飲みを傾けたは笑って言う。
まだ、決めかねているのだと。
しかし、その先にある彼女が求める結果だけは、少しも揺らいでいないということを。
篠崎は、わかっていながら眉間の皺を深くしたのだった。
ヒロインさんの同居事実発覚。
本当に微妙なポジションの篠崎氏。
New!るろうに剣心 ― ベスト・テーマ・コレクション ―
★★★★★
るろうに剣心アニメ版の初代オープニング「そばかす」から、京都編のエンディング「1/3の純情な感情」までを
すべて収録。
しかも、劇場版のエンディング「永遠の未来」と、劇場版公開記念につくられた「宿敵見参!」と「The十本刀」(笑)
が収められているこのCD!
かなりいいんですよ〜。
るろ剣のCDは何枚か持ってますけど、一番良いのはこれですかねぇ。
なんというか、余分なものは一切はぶいてって感じです。
歴代オープニング、エンディングのなかで一番気に入っているのは、剣心の声を演じられた涼風真世さんが歌う
「涙は知っている」。
さすが元宝塚歌劇団トップの涼風さんです。上手いんですよね、歌が。
もちろん他の曲も良いですよ。ああ、この曲覚えてる〜、と、当時流れていた映像なんかも思い出したりして。
で・す・が!
私が何よりオススメしたいのは、劇場公開記念の「宿敵見参!」と「The十本刀」なんです!
アニメタルが歌うこの二曲。そのタイトルどおり、京都編以前の剣心の敵キャラ(鵜堂靭衛とか)と十本刀のテーマ
ソングです。
一人ひとりの心の内を歌詞にしてるんですが、とにかくこれが胸にくる!
そのキャラが背負うモノを、とても短い歌詞の中にぎゅっと凝縮しているんですよね。
歌っているのは声優さんじゃないんですけど、とにかくその一つ一つにキャラの全てが詰まってるといっても過言
じゃありません。
もちろん、四乃森蒼紫や斎藤一のテーマソングもありますよ。
曲調がヘビーメタル調なので最初の頃は抵抗があったんですけど、何回か聞いているうちにこれが一番のお気に
入りになりました。
皆さんもぜひ、聞いてみてください。
剣心華伝 ― 全史るろうに剣心 明治剣客浪漫譚 ―
★★★★★
五年にわたる連載の、ぶっちゃけ話や裏話が満載のこの一冊。
原作者である和月伸宏氏の事細かなインタビューを中心に、描かれなかったエピソードの話や、全二十八巻の詳
しいストーリー、表紙イラスト。とにかく様々な裏情報が収録されています。
和月氏のインタビューの中には、この頃にはまだ決まっていなかった次回作に関するコメントも含まれているとか。
好きな人は注目ですね。
今更という感じもしますが、連載が終わって随分経った今だからこそ、逆に新鮮に感じるのではないでしょうか。
「ああ、そういえばこんなこともあったなぁ」 なんて感傷に浸ってみたりするのもオツかも。(笑)
そして何より私の心を掴んで離さないのは、るろ剣本編では語られなかった、キャラクターたちの その後 が収録
されてるということ。
剣心と薫の子供については、最終巻で和月氏が語っていらっしゃいましたよね。
ところがこれには、他のキャラたちの後日談が、オールカラーで収録されています。
五年後のエピソードで、左之助や恵はもちろん、斎藤や操に至るまで描かれていて、これはもう必見!
コミックス二十八冊に加えて、これを持っていればもう完璧?
夢を書くときに役立ちそうですよね………。
剣心秘伝 ― 原典・るろうに剣心 明治剣客浪漫譚 ―
★★★★☆
こちらは京都編までの事細かなストーリーや情報が収録されている一冊。
範囲が限定されている分、こちらの方がデータがより詳しいものになっていますね。
たとえば、京都編に出てくるキャラたちのプロフィールとか、それまでの戦歴とか。
ていうか、これこそ私が今求めているものでは………?
とにかく情報が詳しいのが売り。
上の『剣心華伝』が、るろ剣という作品の流れに着目する歴史書ならば、こちらの『剣心秘伝』は特定の時代に的を
絞った専門書?
この二冊をそろえた暁には、マスターと名乗っていいですか?(笑)
カラーページも豊富で、京都編がお気に入りの人はぜひとも手に入れておきたい一品。
でもやっぱり時代が区切られていると言うことで、謙虚に星は四つ。
内容は五つ星なんですけどねぇ。
幕末恋華・新撰組 PS2
★★★★☆
トップページでも紹介している、『うるるんクエスト 恋遊記』と同じ3Dの作品。
本格派歴史系恋愛アドベンチャーですね。
史実に沿った事件が起こる中で、女性隊士として新撰組に所属することになった主人公。
時代の荒波に翻弄されながらも、刀を取り、懸命に戦い生き抜いていくのです。
まさしくゲーム版ドリームですな。
なにぶん新撰組ですから、どうやったって悲恋になるだろうってキャラはいますが、訪れたEDに感動することは請
け合いです。
絵柄も綺麗ですし、声優陣も豪華なメンバーが揃っているので満足できると思いますよ?(しかもフルボイス)
ただ、D3という会社の方針として、『安価で攻略も簡単なものを』という目標? 理念? の元に製作された物です
から、攻略は簡単です。
人によっては物足りなさを感じてしまうかも?
そういった点では初心者向きですかねぇ。
ですが、近藤勇や沖田宗司、土方歳三などと、時代に全てを捧げて一心に生き、けれどもその一方で、どうするこ
ともできずに湧き上がる暖かな思い。
これはかなり胸にきます。
現代に生きる私たちには予想できない、様々な人間模様が用意されているかも。
個人的にはおすすめですが、やはり攻略の難易度が低いことを踏まえて、星は四つ。