19 乙女の執念
厄介なのに絡まれた。
が一番初めに思ったのはそれだった。
年の頃はまだ十四、五かといったところの、おさげ髪の少女。
名を巻町操と言うらしい。
東京を発った剣心との二人が彼女と出会ったのは、東海道の宿場である小田原を文無し呼ばわりされつつもあえて過ぎ去り、箱根山中で野宿の準備を始めた時の事だった。
なにやら絹を裂くような女の悲鳴が剣心との耳に届き、お人好しの真髄を極めようかという剣心の主張により、その現場へと赴いたのだ。
しかしそこに広がる光景は、決して二人が予想していた通りのものではなく。
ガラの悪い男どもを足蹴にし、その身包みを剥いでいる少女の姿。
女ながらに追い剥ぎまがいの所業をいたす彼女こそが巻町操であり、その後ちょっとしたすったもんだがあったあげく、少女の思い出話に思わず剣心が漏らした『四乃森蒼紫』という名のせいで、しつこく付きまとわれる事となったのだ。
元々、関係のない人間を巻き込まないために選んだ陸路である。
極力他人との接触は避けたいのが剣心との本音で。
剣心から蒼紫の情報を聞き出そうと躍起になっている操を巻いてしまうことなどは、二人にとって至極簡単な話だった。
簡単な、話だったのだが………。
一人の人を慕う少女の思いは、まさに怖いもの知らずだった。
常人には飛び越すことなど不可能な崖を。
足が竦んでしまうであろう、深い谷を。
軽々と飛び越してしまった剣客二人を前にして。
彼女は威勢良く啖呵を切り、無理だとわかりつつも僅かな可能性に賭け、その身を宙に投げ出した。
―――一番想っている人を忘れることの、一体どこが幸せなのよ!
しかし案の定、少女の身体は谷の半ばほどで勢いを失って落ちてゆく。
それを見過ごすことの出来るはずもない剣心が、少々人間離れした方法で助け出し、そうして今に至るのだった。
気の失せた操の額に濡らした手ぬぐいを置き、は傍の岩に腰かけている剣心をちらりと見やる。
「…………すごい執念だな、この子」
呆れているわけではない、純粋な感想を述べる。
運動能力は確かに優れているが、しかしまだ幼さの残る操の容姿は、眠っているせいで更に拍車をかけていた。
だがその内にある気概と根性は、なかなかどうして大したものだ。
「よほどその蒼紫とやらに会いたいのか…………。どういう人物なんだ?」
幕末、江戸城を護るお庭番衆の存在は、維新志士であったももちろん知るところである。
当時のお頭が若干十五歳でその役目に立った天才であったということも噂程度には聞いていたが、実際にその人物と相まみえたことは一度もなかった。
「強い男だった…………。一見冷たく非情に見えるが、仲間を思う気持ちは何よりも強かったでござる」
しかしそのお庭番衆も、近代兵器の前に散っていったのだという。
そうして戦う者として、終ぞ日の目を見ることのかなわなかった部下たちに最強という名の華を添えることを、ただ一つの望みとしているのだとも。
「で、剣心はその御頭に狙われているわけか」
つくづく幕末最強の肩書きは、本人の意思を無視してよく敵を作るものだと、は憚ることなく苦笑する。
当の剣心はなんとも言えない複雑な表情で。
「今はどこでどうしているのか………。だが、ここで身を引くような男ではないでござるからな。いつか必ず、立ち会うことになるだろうが」
それをこの少女に話すべきか否か。
おそらく彼女のこの先の事を思えば、真実を知らせてやる方が良いのだろう。いずれは知ることになるのだから。
けれどおそらく、この少女は諦めることはない。
悲しい現実に傷つき、もしかしたら涙するかもしれないが、それでもきっと唯一生きている蒼紫に会うため、是が非でも探し続けるに違いない。
そうしてやっとの事で見つけた手がかりである剣心を、そう易々と離しはしないだろう。
操と出会ってからまだそれほど時は経っていないが、も剣心も妙な確信でもってそう思った。
何しろ、蒼紫様恋しの一念であの崖を飛び越えようとしたほどの無鉄砲娘なのだから。
「まあどちらにしろ、このままこの娘を放っていくわけにもいかないか。また野盗がでないとも限らないし」
気を失ったままの娘をたった一人こんな場所に放っていくなど、それこそ人でなしに分類されてしまう。
けれど、先を急いでいるのは確かなので。
「剣心だけでも先に行くか?」
「いや………志々雄の狙いは拙者だけではない。どうせなら二人の方がもしもの時には都合がいいでござるよ」
多勢に無勢になるのは明らか。
それでも、気の知れない相手ならばいっそいない方がましだろう。
だが今そこにいるのは、幕末の頃、何度となく背中を預けた唯一の人。
互いにその剣筋も、戦い方も、息づかいも、誰よりもよく知っているからこそ、預けることができるのだ。
初めは単なる同志として。
次第にその実力を認め合い、そしてそう言う想いを抱くようになるのに、そう時間はかからなかったように思う。
どちらが先だったのかなんて今となってはわからないが、奇兵隊を離れ京の街で再会したその時に、きっと始まっていたのだろう。
それからは、互いに誰よりも近く。
時には相棒として、時には安らぎとして。
他の誰よりも、互いの事を知っていたのだけれど。
「…………」
思いがけず本名の方を呼ばれて、は些か面食らった顔をした。
昔から、二人きりになると呼ばれていたその名も、東京を出てからこちらはとんと聞いていない。
いつ何時、志々雄一派の手が伸びてくるともわからぬこの状況なのだから、も当然とばかりに気にもしていなかった。
むしろだからこそ今、突然名を呼ばれたことに驚いて。
「聞きたいことが、あるでござるよ」
「何さ、いきなり」
なにやら思い詰めたような、真剣な雰囲気をかもし出している剣心に、は怪訝な視線を向ける。
しかし剣心のほうは、虚空の一点を見つめているだけだった。
「拙者と斎藤が立ち合った日………大久保さんとお主が話していたことについて」
「………………」
その言葉を聞くなり、の顔から砕けた空気が掻き消える。
代わりとばかりに纏うのは、些か張り詰めた様子のそれ。
気配には聡い剣心のこと、少しもこちらを見てはいなかったが、きっとその変化は目聡く見透かされているだろう。
それがわかっているから、もあえて取り繕おうとはしない。
「………何だったかな」
気配を取り繕いはしないが、は口先でとぼけて見せた。
しかし、そんなことで誤魔化せるはずもなく。
「大久保さんの言っていた約束とは、なんでござるか?」
「…………」
剣心には珍しく率直に尋ねられた問いに、は僅かに逡巡した。
けれど今度はそれを表に出すことはない。
僅かに笑みさえ浮かべて、は答える。
「さあ? 桂さんと大久保さんの間で交わされた約束のことを、どうして私が知ってると思うのさ」
「だが、あの時大久保さんは桂さんだけでなくお主にも、償えるとは思っていないと言っていたでござる」
十年もの空白。
東京で思いがけず再会し、その喜びと安堵にすっかり忘れてはいたが、今、互いの間に横たわるそれは決して小さなものではないのだ。
その間になにがあったとしても、決しておかしくはない期間。
どうしてそれに今まで気づかなかったのか。
から大体の話は聞いたことがあるけれど、しかしそれはひどく簡潔で。
それが全てだなんて、そんな確証はどこにもないのに。
そうしてその事実は今、もたらされた凶報によって浮き彫りにされようとしている。
剣心の指摘にしばらく口を閉ざしていただったが、不意に諦めたような溜め息を一つ吐き出した。
「…………桂さんが死ぬ前に、大久保さんとある約束を交わした。それより前に、私と大久保さん達との間で交わした約束があった。それが、今回の志々雄の一件で破らざるを得なくなった………。簡単だろう?」
誤魔化しきれないと察したのか、あっさりと口を割った。
しかしそれも、肝心なところは省略された簡潔なもので。
「…………」
「気にするほどのことでもない。剣心には関係ないことだよ」
納得できていない様子の剣心が口を開く前に、はさっさと話を打ち切りにかかる。
その言葉は真実とは言い難かったが、これ以上の話をするつもりも毛頭ない。
むしろこんな会話でさえ、本来ならばするつもりのなかったことだ。
できることなら、己の望みが果たされるその時まで。
いや、その後でさえも、知られなければいいと思う。
いつもと変わらぬ笑みを浮かべながらも有無を言わさないのその雰囲気に、剣心は納得いかないながらも今は口を閉ざす。
その場を埋める静かな沈黙。
木々が風に揺れる微かな音だけが響いていて。
「…………剣心」
それを破ったのは意外にものほうだった。
横たわる操を見下ろしたままの独り言のようなその声に、剣心は顔をあげる。
視線が絡まることはない。
「…………この件が全部片付いて、もし、また二人で茶でも飲めるようなら………」
語るはうっすらと微笑みを浮かべているようで。
それはまるで目の前の操を慈しんでいるかのような、またどこか憂いを帯びているかのような、そんな微笑み。
「そんなような日が、また、来るのなら……………、剣心に、頼みたいことがあるんだ」
聞いてくれるか? と呟くの横顔を見ながら、剣心は小首を傾げる。
「なんでござるか?」
唐突な話だったが、の顔がどこか真剣だったので。
剣心はただ、そう問い返すけれど。
は、今は言えないと苦笑する。
「もしもの話なんだ。なんだったら忘れてもらっても構わない」
「なんでござるか、それは」
理解できないの物言いに、剣心はなんとも言えない顔をする。
けれどは、もしもの話だと繰り返して。
「は、拙者が志々雄に負けると思っているのか?」
その言葉には些か心外そうな剣心の心中が滲んでいた。
今回の件が、勝敗云々というような悠長な問題ではないのはわかっているが、己の中に僅かに残った妙な矜持は頭をもたげてしまう。
見栄というには些か誤謬があるだろうが、それでもやはり面白くないと感じたのは確かで。
人斬りを辞めた今の自分では、あの志々雄真実に勝てないことなど解っているはずなのに。
「剣心は自信があるわけだ」
そんな剣心の心中を察してか、は揶揄するように笑う。
その横顔は、いつもと変わらない彼女のもの。
穏やかに月を愛で、たおやかな笑みを向け、そして鋭利な氷のように冴え渡る。
それは、十年前と変わらぬもので。
「………茶ぐらい、これから先いくらでも飲めるでござる」
先のことなど解りはしない。
久しく離れていた、明日の知れないその張り詰めた感覚は、決して望んでいるわけではないのになぜか懐かしくて。
昔をより鮮明に、思い出させる。
そうして知るのは、己の思い。
かつて交わした、あの約束。
「………」
呼べども向けられることのない瞳は、何を思っているのか推し量ることさえ難しい。
それでも尚、目を逸らすことはせず。
「この、一件が終わったら…………」
十年前に言うはずだった言葉を。
不殺を誓い、いつかの夜に交わしたあの約束を、ようやく果たすはずだったあの時に。
言おうと密かに決めていた、言葉を。
こんな状況ではあるけれど、だからこそ口にしたいと剣心は思った。
明日をも知れない今だからこそ。
ずっと言いそびれていた、それでも十年間決して変わることのなかったそれを、今ようやく―――。
「全てが終わったら、一緒に――――――」
「あれ、あれ、あれれ!?」
がばり、と。
額に乗せていた濡れ手ぬぐいを吹き飛ばし、起き抜けなのにも関わらず勢い良く上体を起こした無鉄砲娘によって。
ようやく、ようやく告げようとしていた剣心の十年越しの言霊は、問答無用でぶった切られた。
「………………」
行く先を失った言葉は口の中で凍りつき、勢い余って剣心の時間まで止めてしまう。
しかしその原因となった当人は、そんなことになど気づくはずもなく。
忙しなく辺りを見回し、そうして自分を見下ろす赤毛と黒髪を見つけた。
「ようやく起きたね。気分は?」
「大丈夫………って、あんたたちなんで………」
に問われて自分が気絶していたことを知ったが、それなのになぜ二人がまだここにいるのかと目をぱちくりさせる。
あれだけ逃げ回っていたくせに、どうして自分が意識のないうちに放って行ってしまわなかったのかと。
操の疑問は聞かずとも手に取る様に解ったが、はあえて答えなかった。
おもむろに立ち上がり、腰に大刀を差す。
まだ固まったままで沈黙していた剣心を無言で促して、くるりと背を向けその後を追った。
「―――ついてくるなら、他人のフリをしてるでござる。無理に撒こうとしてまたこんな無茶をされたらかなわんしな………。お主の事だ、ダメと言っても意地でもついてくる気でござろう?」
長い赤毛の揺れる背中が、多分に諦めを含んだ口調で言うのを聞いて。
「当たり前よ! あたしは絶対、もう一度蒼紫様たちと会うんだ!」
へこたれることなどきっと知らないのだろうその叫びに、は苦笑ともつかない笑みを人知れず浮かべた。
図らずも三人連れとなってしまった京都への旅。
森の木々や藪を掻き分け掻き分け進む剣心の後ろ姿が、その時なんとも言えない暗い影を背負って項垂れていたことに。
当事者である片割れと、原因となった無鉄砲娘は、ついに気づくことはなかった。
別名、イタチ娘見参。(笑)
もしくは、不憫剣客物語。(合掌)
New!るろうに剣心 ― ベスト・テーマ・コレクション ―
★★★★★
るろうに剣心アニメ版の初代オープニング「そばかす」から、京都編のエンディング「1/3の純情な感情」までを
すべて収録。
しかも、劇場版のエンディング「永遠の未来」と、劇場版公開記念につくられた「宿敵見参!」と「The十本刀」(笑)
が収められているこのCD!
かなりいいんですよ〜。
るろ剣のCDは何枚か持ってますけど、一番良いのはこれですかねぇ。
なんというか、余分なものは一切はぶいてって感じです。
歴代オープニング、エンディングのなかで一番気に入っているのは、剣心の声を演じられた涼風真世さんが歌う
「涙は知っている」。
さすが元宝塚歌劇団トップの涼風さんです。上手いんですよね、歌が。
もちろん他の曲も良いですよ。ああ、この曲覚えてる〜、と、当時流れていた映像なんかも思い出したりして。
で・す・が!
私が何よりオススメしたいのは、劇場公開記念の「宿敵見参!」と「The十本刀」なんです!
アニメタルが歌うこの二曲。そのタイトルどおり、京都編以前の剣心の敵キャラ(鵜堂靭衛とか)と十本刀のテーマ
ソングです。
一人ひとりの心の内を歌詞にしてるんですが、とにかくこれが胸にくる!
そのキャラが背負うモノを、とても短い歌詞の中にぎゅっと凝縮しているんですよね。
歌っているのは声優さんじゃないんですけど、とにかくその一つ一つにキャラの全てが詰まってるといっても過言
じゃありません。
もちろん、四乃森蒼紫や斎藤一のテーマソングもありますよ。
曲調がヘビーメタル調なので最初の頃は抵抗があったんですけど、何回か聞いているうちにこれが一番のお気に
入りになりました。
皆さんもぜひ、聞いてみてください。
剣心華伝 ― 全史るろうに剣心 明治剣客浪漫譚 ―
★★★★★
五年にわたる連載の、ぶっちゃけ話や裏話が満載のこの一冊。
原作者である和月伸宏氏の事細かなインタビューを中心に、描かれなかったエピソードの話や、全二十八巻の詳
しいストーリー、表紙イラスト。とにかく様々な裏情報が収録されています。
和月氏のインタビューの中には、この頃にはまだ決まっていなかった次回作に関するコメントも含まれているとか。
好きな人は注目ですね。
今更という感じもしますが、連載が終わって随分経った今だからこそ、逆に新鮮に感じるのではないでしょうか。
「ああ、そういえばこんなこともあったなぁ」 なんて感傷に浸ってみたりするのもオツかも。(笑)
そして何より私の心を掴んで離さないのは、るろ剣本編では語られなかった、キャラクターたちの その後 が収録
されてるということ。
剣心と薫の子供については、最終巻で和月氏が語っていらっしゃいましたよね。
ところがこれには、他のキャラたちの後日談が、オールカラーで収録されています。
五年後のエピソードで、左之助や恵はもちろん、斎藤や操に至るまで描かれていて、これはもう必見!
コミックス二十八冊に加えて、これを持っていればもう完璧?
夢を書くときに役立ちそうですよね………。
剣心秘伝 ― 原典・るろうに剣心 明治剣客浪漫譚 ―
★★★★☆
こちらは京都編までの事細かなストーリーや情報が収録されている一冊。
範囲が限定されている分、こちらの方がデータがより詳しいものになっていますね。
たとえば、京都編に出てくるキャラたちのプロフィールとか、それまでの戦歴とか。
ていうか、これこそ私が今求めているものでは………?
とにかく情報が詳しいのが売り。
上の『剣心華伝』が、るろ剣という作品の流れに着目する歴史書ならば、こちらの『剣心秘伝』は特定の時代に的を
絞った専門書?
この二冊をそろえた暁には、マスターと名乗っていいですか?(笑)
カラーページも豊富で、京都編がお気に入りの人はぜひとも手に入れておきたい一品。
でもやっぱり時代が区切られていると言うことで、謙虚に星は四つ。
内容は五つ星なんですけどねぇ。
幕末恋華・新撰組 PS2
★★★★☆
トップページでも紹介している、『うるるんクエスト 恋遊記』と同じ3Dの作品。
本格派歴史系恋愛アドベンチャーですね。
史実に沿った事件が起こる中で、女性隊士として新撰組に所属することになった主人公。
時代の荒波に翻弄されながらも、刀を取り、懸命に戦い生き抜いていくのです。
まさしくゲーム版ドリームですな。
なにぶん新撰組ですから、どうやったって悲恋になるだろうってキャラはいますが、訪れたEDに感動することは請
け合いです。
絵柄も綺麗ですし、声優陣も豪華なメンバーが揃っているので満足できると思いますよ?(しかもフルボイス)
ただ、D3という会社の方針として、『安価で攻略も簡単なものを』という目標? 理念? の元に製作された物です
から、攻略は簡単です。
人によっては物足りなさを感じてしまうかも?
そういった点では初心者向きですかねぇ。
ですが、近藤勇や沖田宗司、土方歳三などと、時代に全てを捧げて一心に生き、けれどもその一方で、どうするこ
ともできずに湧き上がる暖かな思い。
これはかなり胸にきます。
現代に生きる私たちには予想できない、様々な人間模様が用意されているかも。
個人的にはおすすめですが、やはり攻略の難易度が低いことを踏まえて、星は四つ。