5 特急列車
ベッドの上に置いた鞄の口を閉めて、は一つ息をついた。
鞄の中には、丁度一ヶ月前に購入したばかりの魔法の品々。
大人が思い切り蹴飛ばせばいとも簡単に壊せるであろう、部屋の薄い扉を閉めて鍵をかけ。
数冊の教科書が入った重い鞄を何とか抱えて階段を下りた。
そうして先日ハグリッドから渡された切符を取り出して、向かうべき場所を確認する。
―――キングズ・クロス駅 九と四分の三番線―――
「……………」
は二度三度とその文面を読み返し、決して見間違いでも、文字が勝手に変わるような魔法がかけられているわけでもないことを確かめてから、おもむろにそれをポケットへとしまいこんだ。
とりあえず、行ってみよう。
キングズ・クロス駅は確かにあるわけだし、手元の鞄の中には、これまでの出来事を疑いようもない証拠の品々があるのだし、と。
そう考えたは、身体に似合わぬ少し大きな鞄を抱えて、ロンドンの下町の道を一人歩き出したのだった。
*
広い駅の構内は人で溢れ返り、その波に飲まれてしまいそうになる。
それでもは上手く合間をかいくぐって、なんとか九番線へとたどり着いた。
見つけるべきは九と四分の三番線。
しかし目の前にある九番線の隣には、同じような佇まいの十番線が伸びていて。
さて、どうしたものかと。
は立ち止まって考えた。
手には魔法に関する………はずの学用品。
目の前には、何の変哲もない九番線と十番線。
どんなに目を凝らしても、切符の表記は変わることはなくて。
もしかして自分の目指す番線は、どこか別の場所にあるのだろうか。
それともこれまでのことは全部嘘で、新手の詐欺に引っかかってしまったのか。
はたまた全ては夢物語で、自分の空想の産物だったのか。
「………………」
ひとしきり思案して、個人的に信じたいのは一番だなと思った。
しかし、いつまでもぐずぐずしている暇は無い。
自分が乗らなければいけないはずの列車は十一時発と書いてあるのだ。
はとりあえず、ダメもとでも駅員に聞いてみようとぐるりと辺りを見回した。
そこに。
「さあジニー、行きますよ。遅れないで」
そう言って娘の手を取る母親の姿が目に入る。
それはまったく何でもない光景だったが、しかしは次に起こった普通ではない出来事をしっかりと目撃してしまった。
九番線と十番線の間。
そこにある柵に向かって母娘が歩いて行ったかと思うと、そのまますうっと溶け込むように消えたのだ。
「…………」
はしばし沈黙して、じっとその方向を見つめる。
そうしておもむろに近づくと鞄を手に持ち直し、そのまま一歩足を踏み出してみた。
すると、その途端に霧の中を抜けるような、それにしては抵抗感のある不思議な感覚が身体を包み込んで。
それを抜けたと思った次の瞬間にの目に飛び込んできたのは、同じようなローブに身を包んだ集団だった。
は目をぱちぱちと瞬いてみる。
それは、のかばんの中にあるものと同じデザインで。
ふと視線を上にあげると、『九と四分の三番線』と書かれたプレート。
はもう一度しっかりと二回、瞬きをして。
それが幻ではないことを確かめると、そのまま何事もなかったかのように歩き出した。
*
すっかり出発の準備が整っている列車は蒸気を吹き上げ、家族との別れを惜しんだり、友人たちとの再会にざわめく人々の気を急かしている。
は空いているコンパートメントを探すために、列車へと近づいていった。
しかし、覗く窓、覗く窓、すでに先客がいるところばかりで。
とりあえず乗り込んでしまおうか、とが考えたその時。
「!」
辺りを埋め尽くす喧騒を割って、聞き覚えのある声がを呼んだ。
そちらに首をめぐらせて見れば、列車の窓から身体を半分乗り出して手を振っているハリーの姿。
「ハリー」
は鞄を手にしたまま、一ヶ月ぶりに見るハリーのもとへと歩み寄った。
「会えないかと思って探してたんだ。元気だった?」
そう言ったハリーは、やはり少し痩せ気味で眼鏡も壊れたままだったけれど、とても元気そうに笑っている。
だからも頷いて見せた。
「ハリー、そこ空いてる? よかったら一緒に乗せてもらいたいんだけど」
どこも一杯らしくて、と小首を傾げるに、ハリーは一も二もなく頷く。
比較的荷物の少ないの鞄はコンパートメントの窓から入れる必要もなく、列車の登りにくいステップを通って運び入れた。
そうしてが席についた途端、鳴り響く発車の警笛。
ガタンと一度大きく揺れて、窓の外の景色がゆっくりと流れ始める。
見たことのない風景が、とハリーの前に現れては消えていく。
しばらく二人は黙ってその様を眺めていたが、不意にコンパートメントの扉が開かれると、何となく覚えのある赤毛が顔を覗かせた。
「ここ、空いてる? 他はどこも一杯なんだ」
列車に乗る前のと同じようなことを聞いたその赤毛の少年は、ハリーとが頷くのを見て中に入ってきた。
その彼が席についてすぐ、は少年の赤毛をどこで見たのかを思い出す。
キングズ・クロス駅で九と四分の三番線を探していた時に、の目の前で吸い込まれるように柵の中へ消えて見せた、あの母娘連れと同じなのだ。
もしや家族か何かなのだろうかとが考えた時、再びコンパートメントの扉が開かれ、またもや同じ赤毛が顔を覗かせた。
しかも今度は二人であるばかりか、両方とも同じ顔で。
その二人の赤毛は少年のことをロンと呼び、ハリーに向かって親しげに自己紹介をする。
ロンはと言えばどこか居心地が悪そうにもごもごしていたけれど、同じ顔の二人はまったく気にしていないようだった。
その時ふと、二対の視線がへと向けられて。
「おや、君とは初対面だね」
「ハリーの友達?」
ジョージとフレッドと名乗った彼らは、興味津々な顔つきでを見る。
勢いの余りまくっているらしい二人には、ここへ入ってきた時の存在がよく見えていなかったらしい。
「初めまして、・です」
が名乗ると、双子はよろしくといって交互に握手を求めてきた。
それにが応えると、双子はくるりと弟の方を向き用件だけを伝えて慌ただしくコンパートメントを出て行く。
まるで嵐が去った後のようだった。
フレッドとジョージが出て行った扉を見ていただが、聞こえてきたロンの声に視線を戻した。
どこか遠慮した、しかし好奇心の隠し切れない様子のロンは、今目の前にいるハリーが、あの有名な正真正銘のハリー・ポッターなのだと確かめるや否や瞳を輝かせる。
ハリーの額にある稲妻型の傷を見ると、その輝きは更に増した。
「ハリーって本当に有名人なのね」
しみじみと呟く。
ハグリッドに連れられて初めて三人で漏れ鍋へ行った時にも、大人たちにもみくちゃにされるハリーを見てその有名ぶりを知っていたのだが、同年代であるロンの反応を見て改めて思う。
「なんだか変な気分だよ」
恥ずかしいのか困惑しているのか、ハリーはなんとも複雑な表情で笑って見せた。
「君はハリーと知り合いなの? いつから? もしかして幼馴染みとか?」
ロンは興味津々の瞳を今度はへと向ける。
そんな彼に、はふるりと首を横に振って見せ。
「一ヶ月前に会ったばかり」
簡潔なその答えに、ロンは目をぱちくりさせた。
何か話が続くのかと先を待ったのだけれど、はそれ以上口を開く気配がなく。
どうしていいやらわからない。
「へ、へえ、そうなんだ」
「ええ」
苦肉の策で打った相槌も、たった二文字で流されて。
………話が続かない。
決してに悪気があるわけではないのだが、ロンにとってはとっつきにくい奴と認識されたようだ。
の意識が窓の外に向いたのを見て、ロンは隣のハリーにこっそりと耳打ちする。
「なんか、ちょっと変わった子だな。そう思わない?」
「え、のこと? うーん、そうかなあ?」
どうやらハリーはさして気にしていないようだ。
けれどロンは、そうだよと言っての横顔を見やったのだった。
ロンとの遭遇。
第一印象はあまりよろしくないご様子。
――― 勝手にうんちく じゅういちがつにじゅうろく ―――
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★★★★★
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それぞれ使い分けてみるのもいいかもしれません。
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