4 続 ・ 買い物へいこう!
店を出たハリーとは、ハグリッドが買ってくれたアイスクリームを食べながら次の目的地へと向かった。
その途中で、ハリーからあの洋装店で会った少年の話を聞く。
その少年はマグルの子供はホグワーツへ入学させるべきではないと言ったらしいが、両親ともマグルのは別段気にした風もなかった。
それよりもハグリッドの口から語られるクィディッチや寮に関する話の方が興味深かったようだ。
すっかりアイスも食べ終えて、ハリーとは次々と必要なものを買い揃えていった。
もっとも、は慎重に吟味することを忘れない。
とにかく学校なのだから、筆記用具がなければ話にならないだろうと、羽ペンと羊皮紙は普通に買った。
教科書を買う時にはハグリッドの助言を頼む。
「ハグリッド、絶対に必要な教科書はどれ?」
「絶対にいる教科書? そうだなぁ、そこに書いてあるものは全部そうだが、とにかく基本呪文集ははずせねぇ。あとは魔法史も教科書があったほうがいいな。変身術入門もいる。それから………」
結局ハグリッドは全部の教科書が必要だという結論に至ったようで、本屋の店主に古本はないかと尋ね、なおかつそこから随分と値切ってくれた。
おかげでの手元には、少々古ぼけてはいるが全ての教科書が揃う。
続いて鍋と秤と望遠鏡だったが、はそのどれも買わなかった。
薬問屋でハグリッドが注文してくれた基本的な材料も、少し悩んで全ての種類を少しずつ買うだけにとどめる。
買い物も残すところ、あとは杖のみとなった時、ふとハグリッドの口からハリーの誕生日の話が飛び出した。
「ハリー、誕生日なの?」
初耳のが目をぱちくりさせる。
プレゼントを買ってやると言うハグリッドに顔を赤くしていたハリーは、照れながらこくりと頷いた。
「おめでとう。じゃあハリーは私より少しお兄さんだわ」
無表情な印象を受けるが不意に浮かべた、あのふわりとした笑みにハリーは一層顔を赤らめる。
それを取り繕うように頭の後ろを掻いて。
「の誕生日はいつなの?」
そう何気なく問い掛ければ、は一瞬きょとりとして、もっとずっと後だとだけ答えた。
そうこうしている内に、ハリーの手には雪のように白いふくろうの入った鳥かごが収まり、今度こそ三人は最後の買い物にして最も重要なものの一つである杖を買いに向かう。
ハグリッドが案内してくれたのは、『オリバンダーの店』というところだった。
少し埃っぽい、さびれた感じのする店はしかし、どこか神秘的な雰囲気を漂わせる不思議な店だった。
しんとした店内に心持ち緊張して入った三人は店主の登場に揃って身体を震わせて驚き、ハグリッドなどは椅子を壊しそうになって慌てて立ち上がった。
杖の店の主はハリーの顔を見るなりひどく相好を崩し、昔の記憶を昨日のことのように語りだす。
柳の木でできた二十六センチの、妖精の呪文にぴったりの杖。
良くしなるマホガニーの杖は二十八センチ。変身術にはもってこい。
ハリーの両親が初めて手にした杖のことを、老人は寸分の狂いもなく憶えていた。
もしかしたらそれは、ハリーにとって思いがけない誕生日プレゼントだったのかもしれない。
顔も覚えていない両親の片鱗を知れたことは、ハリーにとって嬉しくないはずがなかった。
杖屋の老人はもちろんハグリッドのことも憶えていたが、ひとしきり懐かしむのを終えると早速ハリーの杖の選定に入った。
どうやら杖探しは難航しているようで、何本も持ってきては違うと言って新しいのを探しにいく。
そうしてとうとう持ってきた杖は、ハリーの手に触れた瞬間、赤や金色の光を生み出しそこここに反射させた。
「………すごい」
ハグリッドやオリバンダー老人が歓声をあげる中、は目の前で生み出された不思議な光のダンスに目を奪われ、ただ感嘆のように言葉を漏らす。
ぽかんとしていたのはハリーも同じで、杖を持った瞬間に感じた不思議な感覚に心ここにあらずといった様子だ。
しかし続くオリバンダー氏の言葉に、二人の意識は現実に戻ってくる。
この世にたった一本だけ存在する、その杖の兄弟。
その兄弟杖が、ハリーの額にある傷をつけたのだと。
「ヴォルデモートがハリーの兄弟杖を持っているんですか」
がその名を口にした瞬間、ハグリッドとオリバンダー氏が震えあがった。
それを見たが、あ、と口を押さえて謝る。
ついつい忘れがちになるが、その『例のあの人』の名を呼ぶとハグリッドたち魔法界の人間は過剰反応を示すのだ。
一通り話は聞いているものの、なぜハグリッドたちがそれほど怖がるのかには理解できなかった。
暗黒時代と呼ばれる時を知らずに育ち、なおかつ魔法界とはいままで一切関わらずに生きてきたせいなのかもしれない。
それでもこれから学校へ行って学ぶようになれば、自分も彼らと同じようにその名を恐怖するようになるのだろうか。
はそんな自分がどうしても想像できず、心の中で首を傾げた。
ヴォルデモートはハリーの仇。
の中の認識はそれだけで、それで充分だとも思った。
『例のあの人』の名の思わぬ登場に心を乱していたオリバンダー老人は、それでも何とか落ち着きを取り戻すとその兄弟杖を収めていた箱をハリーに渡し、続けてのほうへ向き直った。
考え事をしていたは、老人と不意に視線が合ったことに少し目を見開く。
「さて、次はあなたださん。杖腕はどちらかな?」
「右です」
先にハリーが聞かれるのを見ていたは淀みなく答えた。
老人の指示に従って、メモリのついた巻き尺がの身体をあちこち測っていく。
大人しくされるがままになりながらも、は棚の間をせわしなく動き回るオリバンダー氏を目で追っていた。
小柄なその身体は、密集した狭い空間を自在に動くには具合が良さそうだ。随分と昔からこの店をやっているようだから、若いころも今と変わらず小さかったのだろうか。
ぼんやりとそんなどうでもいいことに思考をめぐらせていたは、戻ってきた老人が持ってきた杖を何の疑いもなく手にとった。
が、その瞬間、巻き起こる突風。
「いかんいかん。これではまずかったか」
杖はすぐさま取り上げられ、オリバンダー氏はまた棚の森へと帰っていく。
は自分の周りで起こった風に驚く暇もなく、老人の小さな背中を見送るしかない。
そうして戻ってきた彼から手渡された杖は、やはり店の中をどこかしら崩してしまい。
それを何度か繰り返すと、老人は一旦動きを止めて腕を組んで見せた。
ふーむ、と唸り声を上げる。
「こまった。まったく今日は難しい客が多い日じゃ。いやいや心配せずとも、必ずあなたに合った杖を見つけますよ」
が何事か口を開く前にそれを制したオリバンダー老人は、独り言を繰り返しながら背後の棚を振り返った。
そうしてまたふーむと唸る。
「いやしかし、これがダメとなると次は………たしかあの辺りに………」
なにかを思いついたらしいオリバンダー氏が、再び杖の森に潜ろうと身を翻した、その時だった。
その反対側に位置する、棚ではない箇所。
棚に収まりきらない杖の箱が幾重にも積み上げられている山の一角から、なにやらガタガタと揺れるくぐもった音が聞こえてきたのだ。
それにはオリバンダー氏だけでなく、やハリー、ハグリッドまでも首をめぐらせて。
その場にいた全員の視線を集めるその場所は、明らかに不自然な振動を繰り返している。
もしや………と小さく呟いたオリバンダー氏はその山へ近づくと、元々小さな身体を更に屈めてなにやらその辺りを探り始めた。
薄く埃をかぶったその山は、長い間動かされていなかったのだろう。
その山の中から、老人は丁寧な手つきで一つの箱を取り出す。
それは、他のどの箱よりも古ぼけて見えた。
「まさかまさか、これは本当に珍しい。杖が自ら呼びかけるとは。さあどうぞ、手にとってみてください」
恭しい仕草で古ぼけた箱の蓋を開けた老人は、その中にあった黒に見紛うほど深い色の杖をの前に差し出した。
は促されるままにそれを手にとる。
途端、手の先から流れ込んでくる何か。
それをが自覚すると同時に、暖かな風が周囲を巻き込み上昇した。
それはまるで、大きな鳥が羽ばたいた時のようで。
ハグリッドとハリーはそれに手を打って喜び、オリバンダー氏は満足げな笑みを浮かべた。
ただ一人だけが、たったいま身体の中を駆け抜けていった感覚に呆然と手の中の杖を見つめて。
「いやはや、まさかこの杖とは。まったく思いもよらなかった」
よほど感心しているのか、いやはやを繰り返す老人にハグリッドが問い掛ける。
「なぁ、じいさま。その杖はそんなにすごいものなのか? 一体どんな杖なんだ?」
もっともなその問いに、杖に見入っていたも顔を上げた。
尚もいやはやと呟いているオリバンダー氏は、まるで我が子でも見るような目での手の中の杖を見つめている。
「その杖は三十六センチで、金木犀に不死鳥の風切り羽。しっかりとしていて、あまりしなりはしないがとても丈夫」
は再び手の中にある杖に目を落とした。
黒に見紛うほど深い色。鋼色だろうか。
手触りはしっとりとしていて、とてもしっくりくる握り具合だ。
「その杖はもう随分と長い間この店におる。そうだな、この店ができて間もない頃のものじゃ。強い力を秘めているが、それ故にとても気難しく、良い買い手が現れずにこれまでずっと眠っておった」
たしかこの店の創業は、表の看板に紀元前とかなんとか書いていなかっただろうか。
店に入る前に目にした看板を思い出して、はふと顔を上げた。
すると、妙に嬉しそうなオリバンダー氏の瞳とぶつかって。
「さん。わしはこの店を継いでから、幾度かその杖をお客に勧めたことがある。もちろんきちんと見立てた上でじゃ。しかし誰一人として、その杖を使いこなせる者はおらなんだ。それはわしの先代も、そのまた先代も同じだったと聞いておる。さん。その杖はもしかすると、あなたがここに来るのを待っておったのかもしれん。二千年以上の長い間、ずっと………」
「……………」
は老人の話を聞きながら、どこかぼうっとした面持ちで杖を見つめた。
オリバンダー氏の話はどこか現実離れしていて、にわかには信じがたい内容だ。
杖が持ち主を選ぶという話も、二千年という歳月も、今までマグルとして生きてきたには想像もつかない領域で。
けれどそれでもなぜか、はハグリッドやこの杖屋の店主を疑う気にはなれなかった。
「いい杖が見つかってよかったじゃねぇか、二人とも。さあ、さっさと会計を済ませちまおう」
ハグリッドにそう促され、ハリーとの二人はそれぞれ財布を取り出す。
手の中で硬貨が音をたてる感触。
前の店でが鍋や秤を買わなかったのは、ハグリッドに杖だけはなにがあっても必要だと言われたからだ。
どうやら魔法を使うには杖が必要らしく、どの授業でも必須らしい。
だからは、鍋や秤はお金が余ったら買おうと、そう思っていたのだけれど。
「ポッターさんの方は七ガリオン、さんは六ガリオンになりますな」
渡された箱に杖を戻しカウンターにそれを置いて、財布の口を開いていたはその手を止めた。
「……………」
財布の中身を確認するまでもなく、ふっと身体から力が抜ける。
そうなることで初めて、思ったより自分は興奮していたのだと知った。
けれどそれも、今は過去形。
「あ〜………じいさま、ものは相談なんだがな。そのぅ、の杖は…………」
「ハグリッド」
事情を察したハグリッドが進み出るのを、は静かに押し止めた。
しかしだな………と、こちらを見下ろす優しい彼に首を振る。
心配そうにこちらを見ているハリー。
は、わけがわからず首を傾げているオリバンダー氏に向き直って。
「あの、今は買えないけど、でもいつかきっと買いに来ます。だからそれまで、取っておいてはもらえませんか」
そう言って、手付金にとカウンターの上に財布の中身をあける。
そんなを、オリバンダー氏は面食らった表情で目の前に踊るシックル銀貨やクヌート銅貨と一緒に見やった。
まだようやく十一になろうかという少女の瞳には、妙に大人びた光が灯っている。
悲しげなわけでも、惨めなわけでもないまっすぐなその瞳は、見る者の心を捕らえるようで。
しばらくそれを見やった店主は、わかりましたと頷いてカウンターの上に置かれた箱を手にとった。
「おい、じーさま………」
「それではどうぞ、これは持っていきなさい。お代はこれで結構です」
何とかならないかと言いかけたハグリッドを遮るように、老人はそう言って破顔した。
杖の古ぼけた箱に蓋をして、そのままに差し出す。
そうされたは、驚きに目を見開いて。
「でも………」
そんなわけにはいかないと首を振るは、少なからず戸惑っているようだった。
差し出した金額は六ガリオンには程遠い。
加えて品は骨董品と言っても差し支えの無いだろう代物で。
だから受け取れないと、は首を振ったのだけれど。
カウンターの向こうから身を乗り出したオリバンダー氏は、尚も杖の箱をに差し出すのをやめない。
「もしかしたらこのまま永遠に、この店の奥深くで眠ることになるやもしれないと思っていたこの杖が、二千年も待ってようやく選んだのじゃ。それをどうしてわしが遮れるものか。杖の持ち主は杖が選ぶ。そういうものじゃ」
言い含められるようにそう言われて。
はオリバンダー氏の顔と杖の箱を交互に見やると、そっと手を差し出してそれを受け取った。
「…………ありがとうございます」
古ぼけた、少し埃っぽいそれを手の中に収めて。
はそう礼を言った。
粋なはからいをしれくれるオリバンダー老人。
店で一番の古株であるはずの杖を、床の上に無造作に積み上げていたという事実は気にしてはいけません。