13 女子トイレの乱
「ハーマイオ………」
「出てって!」
取りつく島もなかった。
もう食堂ではハロウィンパーティーが始まっている頃だろう。
学校中の人間が一箇所に集まっていて、この辺りにはゴースト一人の気配すらない。
しかしそのおかげで、はハーマイオニーが女子トイレのどこに入っているのかすぐに見つけることが出来た。
一列に並んでいる個室の、一番奥の部屋。
そこだけが硬く口を閉ざしていたので。
しかし見つけたはいいが、何かいい案があったわけでもないは、とりあえずハーマイオニーを呼んでみようとしたのだけれど。
皆まで聞かずに返ってきた言葉は、出て行け。
「…………」
はやくも策の尽きてしまったは、仕方がないので洗面台によりかかって腰を落ち着けることにした。
閉ざされた個室の扉をじっと見つめる。
出ていけと言ったハーマイオニーの口調はずいぶんとキツかったけれど、その声は涙に濡れて震えていた。
いまも鼻をすする音が聞こえる。
は何をするでもなく、ただじっとそこにいて。
手持ち無沙汰になったので、指の先なんかをいじってみたり。
あ、逆剥けが………。
「…………ねえ」
「うん?」
個室の中から響いてきた声には顔をあげる。
すると、中でハーマイオニーが怒る気配がした。
「なんでまだいるのよ!」
どうやら出て行ったかどうかの確認だったらしい。
しかしは洗面台にもたれたままで。
「なんでって………ハーマイオニーがそこにいるから?」
「訊かないでよ!」
ハーマイオニーの怒りを一層煽ってしまったようだ。
またもや鼻をすする音がして、扉の向こうは黙り込んでしまう。
はぽり、と頬を掻き、再び指先に視線を落とした。
これはもう、自分から出てくるのを待つしかないと。
気の利いた言葉をかけてやれる自信はなかったし、それに今は何を言ってもハーマイオニーの怒りを買ってしまいそうだったので。
とりあえず、真面目な彼女のことだから就寝時間までには出てくるだろうと予想する。
「………ねえ、あなたでしょ。こんなところにいないでさっさと食堂に行ったら? ハリーたちが待ってるんでしょ」
先ほどよりも少し落ち着いた声音で、ハーマイオニーがそう言う。
冷静になったのかもしれない。
は少しだけ考えて答えた。
「さあ、それはわからないけど……。でもとりあえず、今日のはロンが言い過ぎだったから」
なんとなく。
ただなんとなく、気になってしまっただけなのだ。
しかし。
「やめてよ。本当はあなただって同じこと思ってるんだわ。いけすかない女だって」
理解してもらうのは難しいらしい。
ハーマイオニーの声はすっかり涙声だ。
怒りが和らいだら今度は、再び泣きが戻ってきたのだろう。
は少しだけ首をかしげて。
「そんなこと思ってないけど?」
「うそ」
またしても一言の下に切り捨てられる。
意志の強いハーマイオニーは、こんなところでもその性質を遺憾なく発揮してくれた。
「もうほっといてよ。私がどこにいようがあなたには関係ないじゃない。友達でも何でもないくせに、同情でもしてるつもりなの?」
膝に顔をうずめているのだろうか。
そう言うハーマイオニーの声は、反響の良い女子トイレにくぐもって響いている。
はそれを聞きながら、僅かに小首を傾げて。
「どうだろう? 私、友達とかってよくわからないし。でもまあ、とりあえず人を後ろから殴りつけたのは初めてかな」
「…………あなたまさか、ロンを殴ったの!?」
さらりとかまされた爆弾発言に、さすがのハーマイオニーも驚いた。
思わず伏せていた顔を上げ、上に向かって叫んでしまう。
すると、いやに落ち着いた声が返ってきて。
「持ってた教科書で思わず」
しかも角っこ、などと呑気に話すの顔が、ハーマイオニーの脳裏にはありありと思い浮かべられた。
あの、何を考えているのかよくわからない無表情。
「もう………なんなの? なにしてるのよ。私のことなんかで、あなたまで友達減らすようなことするなんて」
信じられないとばかりに呻きがもれる。
放っておけばいいのに。
同情なんてされても嬉しくないんだから。
本当に、何を考えてるのかわからない変な人。
しかしそんなハーマイオニーの心境など露知らず、はやはりとぼけた口調で平然と口を開いた。
「ロンは友達かしら? ハリーとはそうだけど、ロンは向こうも最初から、私のことあんまり好きじゃなかったみたいだし」
抑揚の少ないその独特のしゃべり方で、なんとも薄情なことを口にする。
しかし本人にそんな自覚はないに違いない。
彼女はただ、純粋に事実を口にしているだけなのだ。
ハリーとロンがよく一緒にいるものだから、なんだかんだでハリーと話をすると、自然そこにロンもまざる形になって。
普通に話もするが、特別仲がいいというわけでもないのだと。
そんなの話を聞いていたハーマイオニーは、なぜか疲労した声で言った。
「もういいわよ………わかったから、とにかく今は一人にして。出て行きたくなったら勝手に出て行くわ」
「ん」
了承の意を示す。
ようやくあきらめたのかと、ハーマイオニーは溜め息を漏らす。
これでやっと落ち着けるけれど、なんだかすっかり毒を抜かれてしまった気分だ。
いつまでもこんなところに閉じこもっているのが、ばかばかしくなりそう。
「…………」
ふと。
トイレの蓋の上に腰掛けていたハーマイオニーは、何かに思い至ったように上を見上げた。
注意深く外の気配を窺って。
「…………ねえ」
「うん?」
「〜〜〜出て行ったんじゃなかったのッ!?」
最初とまったく同じ返事が返ってきて、思わず怒鳴ってしまった。
扉の向こうのはと言えば、うん、などとあっさり頷いていて。
ハーマイオニーは何故だか無性にイライラした。
の考えていることは最初からよくわからなかったが、今ではその言動も、行動までもが意味不明だ。
本当にもう、彼女に付き合っていては、どんどんあっちのペースに乗せられてしまうような気がする。
そう考えたハーマイオニーはとうとう立ち上がって、硬く閉ざしていた扉の取っ手に手をかけようと腕を伸ばした。
しかし。
「昔ね、学校のトイレに入って出られなくなったことがあるの」
聞こえてきたの声に、ハーマイオニーは動きを止めた。
先ほどまでと変わらない淡々とした声なのに、なぜかその内容にどきりとする。
取っ手に触れた手はそのままに、の話に耳を傾けて。
「実際は同級生だが誰だかに閉じ込められてたみたいなんだけど。でも騒いだって仕方がないから、そのままそこで待ってた。誰かがいつか見つけてくれるだろうって思って。で、結局出られたのはその日の明け方ぐらい」
見回りに通りがかった警備員さんに助け出されたのだ。
それは十分驚くに値する告白なのに、の平坦な口調がそれをなんでもないことのように感じさせる。
けれどハーマイオニーは、それをそのまま流してしまうことなど出来なかった。
「どうして………だって、授業に生徒が出てなかったら先生とかが気づくでしょ? 他のクラスメイトとか……それに親だって、子供が学校から帰ってこなかったら………」
学校に連絡ぐらい入れるはずだと。
しかしは、ハーマイオニーのその言葉に首を振る。
「その頃はもう、親とは一緒に住んでなかったから。学校にも一ヶ月に一回行けばいいほうで、だから誰も気にとめなかったみたい」
「ご両親、亡くなられたの?」
「生きてる。ぴんぴんしてるはずよ。よくは知らないけど」
語るの声はまったく変化した様子もない。
きっと表情だって、いつもどおりの無表情なのだろう。
それなのに、なぜかハーマイオニーは取っ手を強く握り締める。
「私もね、入った時は自分で入ったの。それなのに、出ようと思ったら開かなくなってた。ハーマイオニーもそうなったら困るじゃない」
「誰かに閉じ込められるかもって?」
「ホグワーツだから、そこのトイレとかも勝手に動きそう」
その発言はどことなくズレていたが、言ったの声は至極真剣で。
呆れと共に、なんとも言えない笑いの衝動がハーマイオニーを襲った。
彼女がいったい何を考えているのか、今までどんな生活を送ってきたのか、話せば話すほど謎は深まるばかりだったが、今はそれも悪くないと感じる。
少しだけ。
少しだけ、素直になってみようか。
ハーマイオニーがそう思い、今度こそと取っ手に触れた手に力をこめた、その時。
「? なに、この臭い?」
生臭いような、青臭いような。
なんともいえない悪臭がハーマイオニーの鼻を突いた。
今まで嗅いだこともないそれは、胸を悪くしそうで。
「ねえ、。なんだか変な匂いが………」
「そこにいて、ハーマイオニー!」
一瞬前とは裏腹な、これまで聞いたこともないような、強いの声が反響した。
それまでと正反対の内容にハーマイオニーは驚き動きを止めるけれど、扉はゆっくりと音をたてて動き出す。
開きかけた扉の隙間から見えたは、身構えるように腰を落としてきつく前を睨みつけていた。
いつも表情の乏しいその顔に緊張の色が浮かんでいる。
驚くほど鋭い眼光。
右手には鋼色の杖を握って………。
「―――っ!!」
完全に開ききった扉の先に現れたそれに、ハーマイオニーは言葉を失った。
四メートル近い巨大な身体。長い腕で棍棒を引きずり、脳みそはきっと申し訳程度にしか入っていない。
トロール。
いつか読んだ本に載っていた挿絵が、実物となってそこにあった。
「―――っ」
「きゃあああ―――ッ!!」
トロールの虚ろな瞳がを捉えたかと思うと、その巨大な棍棒が頭上高く振り上げられた。
その目標は紛れもなくで。
ハーマイオニーの悲鳴が響き、は咄嗟に横へと転がる。
そのすぐ傍を、たちの胴体ほどもあろうかという棍棒が空を切って床を砕いた。
辺りに飛び散るタイルの破片。
あまりのことに足の竦んだハーマイオニーは、頭を抱えてうずくまる。
彼女のいる場所はトイレの個室。
逃げ場はどこにもない。
「―――こっち!」
破片の散らばる床から身を起こしたが唐突に叫ぶ。
しかしそれは、ハーマイオニーに向けたものではなかった。
目標を見失いきょろきょろと辺りを見回していたトロールが、悲鳴をあげたハーマイオニーの方へ視線を移したのだ。
それを、咄嗟に叫ぶことで自分の方へと注意を引き戻した。
醜い巨体がゆっくりと振り返る。
急いで体勢を整え杖を構えただったがしかし、何か策があるわけではなかった。
再びトロールの棍棒が振り下ろされる。
「ッ!」
ハーマイオニーの悲痛な叫びは、洗面台が砕かれる音にかき消されてしまった。
は今度も横に飛んで棍棒の直撃を避けた。
だがしかし、床を転がるの顔が歪められる。
倒れこんだまま、左肩を抱き込むように抱えて。
「―――っ」
瓦礫の飛び散るタイルの上に、赤い染みが滴った。
肩を押さえる右手も同じ色に染まる。
トロールの攻撃に砕かれた洗面台の大きな破片が、運悪く避けるの肩を切り裂いたのだ。
「…………っ、く」
何とか目を開きトロールの姿を確認する。
すると今度は見失ってくれなかったらしく、トロールがこちらを向いているのが見えた。
咄嗟に手元を探るが、先ほどの攻撃を避ける時に杖がどこかに飛ばされてしまいここにはない。
避けなければ。
何とか身体を起こし、またもや棍棒を振り上げるトロールを睨みすえて。
「―――ッだめぇ!!」
「―――!?」
唐突に視界を遮られ、は目を見開いた。
横から飛び出してきた黒いローブの腕によって、頭ごときつく抱きすくめられる。
視界の端に栗色の長い髪が落ちてきて。
「なっ、ハーマイオニー!?」
「――――っ」
無我夢中のハーマイオニーは、の呼ぶ声にも答えずただひたすら彼女の頭を抱きかかえていた。
ぎゅっと目をつむり、息を詰めて。
「やーい、こっちだウスノロー!」
その時、今にもその腕を振り下ろさんとしていたトロールは、ちょうど女子トイレの入り口から聞こえてきたその声に、ぐるりと後ろを振り返った。
「悔しかったら僕に当ててみろー」
わざとトロールを挑発するその声。
きつく目をつむっていたハーマイオニーも顔を上げ、は彼女の髪の隙間からそちらを見た。
そこにいたのは。
「…………ハリー、ロン?」
ハーマイオニーが呟いたように、二人のクラスメイトが必死になってトロールの注意を引き付けていた。
頭の軽いトロールは、バカにされたことに逆上してすぐさま標的を変更する。
しかし助けに来たハリーとロンの二人も、所詮たちと同じ一年生だ。
効果的な攻撃の術を持っているはずもない。
だがハリーたちは持てる知恵と勇気を総動員し、トロールに果敢にも立ち向かった。
ロンに襲いかかろうとするトロールの意識を逸らせるために、その首に飛びついて締め上げるハリー。
それ自体には対して効果がなかったが、ハリーが手にしていた杖が弾みでトロールの鼻に刺さってしまい、その痛みのせいでトロールはロンのことなど忘れさった。
だが今度は、取りつくハリーを振り落とそうと躍起になって暴れだす。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」
授業では上手くいかなかったロンの魔法が、暴れるトロールの手から見事棍棒を取り上げた。
そうしてその高く舞い上がった棍棒を、そのままトロールの頭めがけて落下させ。
脳天に直撃を食らったトロールは、くるくると目を回して倒れこんでしまった。
「………これ、死んだの?」
「いや、ノックアウトされただけだと思う」
ハリーはとても嫌そうに顔をしかめてトロールの鼻から杖を抜き取った。
どんなに気持ち悪くても、このまま杖を放って置くわけにはいかない。
杖の先についた鼻くそをトロールのズボンでしっかりとふき取る。
「それよりは?」
振り返ったハリーに言われて、ハーマイオニーははっとした。
あわてて腕の中を見下ろす。
「そうよ、大丈夫なの!?」
無我夢中で抱きしめてしまったが、自分がその直前に目にした彼女は、珍しく辛そうな表情をしていて。
当たり前だ。肩に傷を負っていたのだから。
しかしハーマイオニーの腕の中から開放されたは、いつもと同じ、なんでもないような顔をしていた。
依然として肩から血をにじませながら。
「平気よ。大丈ぶ………」
「血が出てるじゃないか! これのどこが大丈夫だっていうんだ!?」
「…………」
言い終わる前にロンに叫ばれて、は口をつぐんだ。
ハリーも心配そうな顔をして近づいてくる。
「はやくマダム・ポンフリーのところに………」
「これは一体どういうことです!」
ハリーの言葉を遮るように何の前触れもなく響いた声に、四人は驚いて顔をあげた。
戸口を見てみれば、そこには今まで見たこともないような怖い顔をしたマクゴナガル先生の姿が。
そしてそのすぐ後ろから、スネイプとクィレルも現れる。
「どうして寮にいるはずのあなた方がここにいるんです。………ミス・? 怪我をしているのですか?」
お説教をはじめようとしたマクゴナガル先生の目が、ハーマイオニーに支えられているにとまった。
倒れているトロールを覗き込んでいたスネイプも、その言葉に近づいてくる。
なんとなく、怪我をしていることがバレると厄介になりそうな雰囲気だったので、は首を横に振るのだけれど。
「いえ、たいした傷じゃ………」
「たいした傷なんです、先生! トロールが壊した洗面台の欠片が肩にあたって……、は私のことを庇ってくれたんです!」
ハーマイオニーが必死の形相でそう訴えたものだから、誤魔化すことは不可能になってしまった。
「ハーマイオニー………」
呆れたようにが呟くと、ハーマイオニーはキッとを睨みつけて。
「それのどこがたいしたことないのよ! 血まで出てるくせに!」
「いや、血が出てるからって傷が深いとは………」
「ばい菌が入るかもしれないでしょ!?」
マクゴナガル先生がの前に膝をついて、肩の傷を覗き込む。
まあ、と言葉をもらして。
「まったく、なんて無茶をしたんです。立てますか? クィレル先生、すぐに彼女をマダム・ポンフリーのところへ………」
の腕を取り立ち上がらせたマクゴナガル先生は、戸口のほうで壁に張り付いているクィレルを振り返った。
が、しかし、それにクィレルが答える前に別の人間が進み出る。
「我が輩が付き添いましょう」
スネイプだった。
相変わらず眉間に皺をよせ、不機嫌そうな表情で立っている彼を、はきょとりとした顔で見上げる。
しかしそのあまりの事態に驚いたのは他の三人で。
ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人は、これでもかというほど大きく目を見開き、なおかつ己の耳を疑った。
スネイプが、あのスネイプが、自分から生徒の付き添いを申し出るなんて!
明日は槍どころか爆弾が降ってもおかしくない珍事件だと、それぞれが心の中で叫ぶ。
「それでは、お願いしますスネイプ先生」
マクゴナガル先生も少しばかり驚いていたようだったが、そう言って頷くとをスネイプにゆだねた。
スネイプは三人の驚き顔を冷たく一瞥して、無言のままを伴い去っていく。
ハリー、ロン、ハーマイオニーは、すぐそこに待ち受けているマクゴナガル先生のお説教のことすら一瞬忘れ、その後ろ姿を見送ったのだった。
またしてもヒロインさん負傷。
どうやら彼女はすばしっこいご様子。
――― 勝手にうんちく にがつじゅうはちにち ―――
ハリーポッターと謎のプリンス 日本語版
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★ 評価は五段階 ★
待ちに待ったハリー・ポッターシリーズの第六作目の日本語版!
ついに発売日決定です!(ドンドンパフー)
原書に挑戦されている方も多々いらっしゃるようで、Web上では
六巻の話題がまことしやかに交わされておりました。
英語の出来ない人間にはまさに生き地獄!(←大袈裟)
ああ、ですがしかし!
ついにきたのですよ、皆さん! 来るべき日が!(笑)
ここでは多くは語れません。
ていうか、語る必要もないでしょう。(そしてネタもない)
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確実に手に入れたい方は、予約をお勧めします。はい。
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