15 彼女たちの言い分
今日は休日だった。
いつもなら昼前ぐらいまで寝て、そのあとは気ままに一日を過ごす。
テレビを見ることもあれば、本を読みふけったり。うっかり眠ってしまって、気がついたら夕方なんてこともよくある話。
けれどここ最近、の行動のサイクルに変化が現れ始めた。
朝から起きだして身支度を整え、昼前にはどこかへ出かけていく。
その顔はなんとなく楽しそうで。
一度出かけると、決まって夕方まで返ってはこなかった。
そんなの様子に、不審を抱かない家族はいない。
一番初めに声をかけてきたのは、次女の裕香だった。
「あんた最近、どこ行ってるの?」
「へ?」
金曜の夜。
部屋で次のセレクション用の楽譜を見ていたは、突然響いたノックの音に慌ててそれを隠した。
そして振り向けば、返事も待たずに開けられた戸口に寄りかかり、こちらを見ている姉の姿。
「学校から帰ってくるのも遅いらしいじゃない。休日も出かけてるし」
「…………え〜っと」
姉の言葉に、はどう答えようか真剣に悩んだ。
学校から帰ってくるのが遅いのは、放課後にセレクションの練習をしているからで、休日に出かけているのは、駅前とか公園とかへ他の参加者たちの演奏を聞きに行っているからで。
なにもやましいことがあるわけではないのだけれど、さらりと言ってしまえない理由がにはあった。
それは、もうコンクールも第二セレクションまで終わり、そろそろ佳境に入ろうかと言う時なのに、未だ自分がコンクールに参加していることを家族の誰にも話せていないということで。
両親には勿論、三人いる兄姉たちにも話していない。
「いやー、別に? なんでもないよ?」
薄ら笑いを浮かべてはぐらかしてみる。
すると案の定、姉は胡散臭げに目を細めて。
「なんでもないって顔じゃないけど。あんた嘘つくの下手なんだから、無理するだけ無駄よ?」
「う、嘘じゃないもん………」
鋭い姉のつっこみに視線を逸らして抗ったが、言葉が尻すぼみになっている時点で無駄と思えた。
それでも口を割ることが出来なくて、冷や汗を流しながら視線を逸らし続ける。
そんな妹の様子を半ばあきれながら見ていた裕香は、ふと何を思いついたのか、口元にニヤリと笑みを浮かべた。
「はは〜ん、そういうこと」
姉のひどく嬉しそうな声に、は顔を上げる。
にんまりと弧を描いた双眸にぶつかった。
「裕香姉?」
「まーったく、素直じゃないんだから!」
けらけら笑いながら部屋に入ってきた裕香は、椅子に座る妹の肩をばしばしと叩く。
「ちょ、ちょ、痛いよ」
「隠すな、隠すなぁ。誰にも言わないから、お姉ちゃんに話してみ?」
怯むも軽く流して、裕香は腰をかがめての顔に接近した。
「は、話すって、なにを」
姉の理解不能な行動に、は本能的に身体を引く。
いったいなにを要求しているのだろうか、この人は。
それもひどく嬉しそうに。いや、楽しそうに。
そんなの様子に気づくことなく、裕香は妹の首に腕をまわし、自分のほうへ強引に引き寄せた。
そして内緒話でもするかのように声を落とす。
「―――彼氏でもできたんでしょ?」
「はぁ!?」
されるがままだったが、あまりのことに身を起こして裕香を見る。
大きく見開かれた両目は、これでもかと言うほどに驚きを示していた。
いったい、いったいこの姉は、なにを想像していたのだろうか。
話せと迫られたときには一瞬ばれたのかと思ったが、まさかよりにもよって、そっちに話が進むとは。
「違うの?」
その顔を見て呟く裕香。
はあまりの突飛な見解に、脱力して額を抱えた。
「ちがう………そんなわけないじゃない」
「なんだ、つまんない」
やっと姉の腕から開放されて、は力なくうなだれる。
裕香はつまらないとぼやきながら伸びをした。
「てっきりそうだと思ったのにー。いい息抜きになると思ったのになぁ」
「…………またレポート?」
息抜きのダシに使われるところだったのかと思いながら、毎度のことなのであきらめ半分に姉を見る。
裕香はばきぼきと盛大に身体を鳴らした。
「そう。三つも重なっちゃって。やってもやっても終わんないのよ」
しかも締め切りあさってだしー、とのんきに言ってみせる。
「だからちょーっと息抜きしようかと思って………」
「なにしてんの、あんたたち」
聞こえた声にそちらを見れば、開け放たれたままの扉の向こうに、通りすがりというような長女の姿があった。
その服装は、スーツ、ショルダーバックにストッキングと、仕事から帰ったばかりだと伺える。
おかえりと言うと、ただいまと答えながらの部屋に入ってきた。
「聞いてよ、明美姉。が最近よく出かけるからさ、その理由を聞いたんだけど」
「やっぱり彼氏だった?」
皆まで聞かず、顔を輝かせる長女。
その様子に、は軽い頭痛を覚えた。
この人たちは、それしか頭にないのだろうか。
いくら兄弟だとはいえ、すこし悲しくなってくる。
「それが違うんだって。まったく、花の女子高生だっていうのに、彼氏のひとりもいないのよ、この子」
「そうなの? もったいないわねぇ、あんた」
そういえば裕香姉、さっき誰にも言わないとか言ってなかったですか?
ひそかに頭を抱える末っ子の様子などどこ吹く風で、長女と次女は好き勝手に話の花を咲き乱れさせている。
「なんだったら紹介しようか? あたしの同級生だから、あんたより四つ年上になるけど」
裕香は携帯を手にアドレスを探る。
どうやらもうすでにあたりを付けはじめているようだ。
「ちょ、ちょっと、まっ…………」
「いいんじゃない? 恋人は年上の方が何かと便利よぉ。特に学生の間はね。金持ちならなお良し!」
なんともリアルなコメントを力説する長女もまた、末っ子の言葉など聞いちゃいなかった。
女三人寄ればかしましいとはよく言うが、このふたりがそろった時点でもう、十分すぎるほどかしましい。
かすかにおぼえる頭痛に頭を抱えていては、どんどん勝手な方向へ話をもっていかれてしまいそうで、はいくぶん声を大にして訴えた。
「もうっ、いいかげんにして! 勝手に話をすすめるな!」
少々命令口調になってしまったのはご愛嬌。
こうでもしなければ、ふたりの姉たちの暴走を止められないことを、十七年の人生で学んでいるのだ。
腰に手を当てて、椅子から立ち上がって二人を見据える。
「だって、高校なんてあっという間なのよ? 青春なんかすぐ過ぎちゃうんだからね」
「そうよぉ。大学生になったら、若さなんて感じないんだから。ピチピチしていられるのもいまのうち。あとはもう、いかにこのハリとツヤを保つか試行錯誤する毎日…………」
「うーるーさーいー!」
やけに生々しい表現をする社会人の長女と医大生の次女を、半ば無理やり遮った。
「なんといわれようが、今は彼氏なんかいらないの。いらないものを、無理してつくろうとは思わないの」
腕を組んでふいとそっぽを向く。
今はそんなことよりも、もっと悩むべきことが自分にはあるのだ。
目前に迫った第三セレクションのこととか、音楽科のプチ嫌がらせのこととか。
なによりも、今はもっと上手く歌えるようになりたかった。
一度は諦めた音楽の道を、また歩めていることが嬉しかったから。
たとえそれが、この一時の間だけのことだったとしても。
「一人身で寂しくないの?」
「寂しくないです」
「好きな人もいないの?」
「いません」
きっぱりはっきり答えて、はふたりの姉を追い出しにかかる。
こんなとき、きまって助け舟を出してくれていた兄がとても恋しい。
その兄は昨年から留学中の身で、この家どころか国内にすらいない。
ああ、お兄ちゃん。三女の末っ子は、今あなたの存在の大きさを、こんなにも痛感しています。
心の中でひそかに涙しながら、はまだ不満げな姉たちを廊下まで追いやり、戸口に立って腰に手を当てた。
末っ子は往々にして可愛がられるが、同時に兄姉たちの下で逞しく育つよう、宿命づけられている。
もまた、例外ではなかった。
「わたしはこれから勉強するんだから、もう邪魔しないで!」
それだけ言い放って、は勢いよく自室の扉を閉ざした。
末っ子に追い出された姉二人は、廊下でどちらからともなく顔を見合わせる。
そして、小さな溜め息を漏らした。
「我が妹ながら」
「変な子ねぇ」
その呟きに、閉ざされた扉が再び開き、うるさいっ、と怒声が響いたのは言うまでもない。
2005/4/16 up