11 ある日突然やってきた






 その朝は、いつもと同じ普通の朝だったのです。
 すくなくとも、ついさっきまでは。



「…………………」



 十七年間生きてきて、初めて下駄箱に手紙を入れられました。
 上靴に履き替えようとして、茶色の小さな扉を開けたときです。
 上靴の上に、きちんと鎮座ましましているそれ。

 スクールライフには欠かせない、乙女といわず男といわず、心ときめくシチュエーションであるはずのそれ。
 手のひらサイズの紙を無造作に二つ折りにしてあるだけでした。
 ちらりとのぞく字は、ずいぶんとダイナミックなもの。

 赤いペンで。










『身 の 程 知 ら ず』










 ―――朝のひと時です。

 匿名希望の差出人さんは、かなりの執念を持っているもよう。
 なぜって、昨日わたしが帰ったのは下校時刻を少し回ってから。練習室にこもっていて、時間をうっかり過ごしてしまったので。
 学校の中にはもうほとんど人がおらず、家路につくまで誰一人として会いませんでした。そしてたしかに、その時点でわたしの下駄箱の中には、こんなものは入っていなかったのです。

 わたしが登校したのは八時を少し過ぎたぐらい。いつも、だいたい八時から八時半の間で、アバウトに登校します。七時半ぐらいになると部活の朝練の人たちがいるので、人目につかずにこれを投入するのは難しいはず。
 ということは、匿名希望さんはそれ以前に、しかもかなり早い時間帯にわざわざ普通科のわたしの下駄箱まで足を運んだものと思われます。
 



 ――身の程知らず――




 この文面から察するに、おそらくは音楽科の生徒でしょう。
 音楽科の校舎は別なので、勝手の違う普通科の下駄箱で特定の人物の位置をつかむのは苦労したはずです。
 しかも制服もはっきりと違うため、いくら人通りが少ないとはいえ、あまりうろうろしていては危険だし。
 よほどの執念がなければ、こんなことはしないと思うのです。


 それにしても………。
 この念のこもったお手紙を、わたしはどうすればいいのでしょうか?



「おっはよ! 今日は早いんだね、


 突然後ろから肩をたたかれ、下駄箱の前で突っ立っていたは、反射的に手の中のそれを握り締めた。
 ぐしゃりと乾いた音が響く。


「………おはよう、天羽ちゃん」


 にっこりと笑って振り返る。
 見られなかったかと内心ちょっとひやひやしながら、さり気なくスカートのポケットの中に押し込んだ。


「天羽ちゃんこそ、早いね」


 ウェーブのかかった茶髪の、ちょっと大人っぽい印象を受ける彼女は、星奏学院報道部の敏腕記者で、今回の学内コンクールの担当だったりする。クラスも違うし、今までとんと面識がなかったのだけど、コンクールの取材とかで話しかけられるようになって、今ではすっかり友達だ。


「あたしは今日、日直なんだ。ところで―――」


 上履きを履き終えた天羽が、振り向きながら目を光らせるのを見た。
 猛禽類の目に似ていた。


「さっきポケットに入れたそれ、なに?」

「…………え?」

「とぼけても無駄。紙みたいだったけど、まさか………ラブレター!?」


 さすがは敏腕記者。
 目先が鋭いです。感服します。
 でも中身までは見られていなかったようで、は少しほっとした。


「あー…………」


 どう答えたものかと逡巡する。
 手紙には違いないけど、ラブとは程遠いその内容。

 ていうか、むしろ積極的な害意というか、敵意というか………。
 あんまり人に胸張って見せれるような代物でもないし………。


「んー…………手紙だよ、ただの」


 そう言って歩き出す。
 うそは言ってないよね。手紙だし。内容があれなだけで。


「ただの手紙? どんな内容だったの?」


 天羽ちゃんはわたしの顔を覗き込んで訊いてくる。
 興味津々だ。
 しかし答えられるわけがないので、目を合わせない。


「ナイショ」


 階段を上って、二年生のフロアへ向かう。
 その間も天羽ちゃんは追及を止めない。


「えー、いいじゃん、おしえてよ。あたしとあんたの仲じゃん」


 友達でしょ? と拝むそぶりまで見せるが、ダメなものはダメだ。


「友達だし、天羽ちゃんのことは信用してるけど、これはダメ」


 その答えに、不満げな声を出す天羽。
 彼女の追及の手は、結局の教室の前まで続いた。
 天羽は自分の教室を通り過ぎてまで聞き出そうとしている。


「むー、そこまで隠したがるってことは、やっぱりラブレターだね?」

「さぁねー」


 そうならどれだけ良いことか。
 赤ペンで書きなぐられた文字は、どことなく呪われそうな気さえする。


「だれがラブレター貰ったって?」


 突然頭の上から声が降ってきた。


「土浦!」


 天羽ちゃんがわたしの背後を見上げたので、わたしは肩越しにそちらを向いた。


「おはよう、土浦君」

「おう」


 教室の戸口をふさぎそうなくらい立派な体躯が、こちらを見下ろしていた。


「人の話を立ち聞きするなんて、失礼だよ!」


 天羽がビシリと指差すと、土浦は眉間に皺を寄せてため息をつく。


「あのなぁ、天羽。おまえの声がでかすぎんだよ。あれじゃあ聞きたくなくても聞こえてくるって」


 たしかにそうかもしれない。
 天羽は、人のせいにするなんて卑怯よ、と言っているが。


「で? ラブレターがどうしたって?」


 土浦はいまだ噛み付いてくる天羽を無視してを見下ろした。


「あ、別にラブレターってわけじゃ…………」

「このこが手紙貰ったらしいのよ」

「天羽ちゃん!」


 さらりとばらした天羽をにらみつける。
 しかし天羽はこたえた様子もない。


「で、なかなか内容教えないから、ラブレターじゃないかって」

「天羽ちゃん! 違うって言ってるでしょ!」

「じゃあなんで教えてくんないのさー」

「別に話すような内容じゃないって………」


 思わずため息をつく。
 いいかげん疲れてきた。
 天羽は面倒見がよくて、快活で、いい子だとは思うが、いったん探究心に火がつくと、どうにもこうにも手がつけられない。


「天羽、おまえいいかげんにしとけよ。あんまり度が過ぎると友達なくすぜ?」


 辟易したの様子を見かねてか、土浦が助け舟を出した。
 これには少し怯む天羽。


「くっ、それとこれとは話が別よ!」

「いや、一緒だって」


 思わぬ攻撃に天羽が勢いを失ったところで、はふと思い出す。


「そういえば、天羽ちゃん、日直って言ってなかった?」


 その一言で、天羽はついに後退を余儀なくされた。
 悔しげに唸る。


「くう〜、しかたない、今回はあきらめるけど、絶対いつか聞かせてもらうからねー!」


 ドップラー効果で最後のほうが尻すぼみになっていく。
 天羽は職員室を目指して人ごみの中へ消えていった。


「ったく、災難だったな、

「あはは………」


 土浦にあいまいに笑ってみせる。
 天羽ちゃんのことはもう、毎度のことなのでいいかげんあきらめがついていた。
 むしろいま重荷なのは、ポケットの中に忍ばせてあるこの紙だ。
 どう処分したものか。無造作に捨てるのもはばかられるし、かといって後生大事に持っておくわけにもいかない。燃やすほどでもないとは思うけれど…………。


「おまえ、大丈夫か?」

「え?」


 唐突なその言葉に、目を丸くして顔を上げた。


「いや、なんか深刻な顔してたから」


 どうかしたのか、と土浦は首をかしげる。
 自分で気づかないうちに、そんな顔をしていたらしい。


「そんな重大な手紙なのか?」


 今度は土浦が真剣な顔をして尋ねてきた。
 はかぶりを振る。


「そんなんじゃないよ。ほんとにただの手紙」


 赤い文字だけど。


「気にするほどのものでもないって」


 執念こもってるみたいだけど。


 笑顔で言うに、それならいいがと言いながらも、土浦はまだ煮え切らない様子だ。
 それを見て、はふと土浦に訊いた。


「ねぇ、あのさ、もしかして、土浦君のところにも入ってなかった?」


 こんな白い紙の……というと、土浦は、


「手紙か? いや、入ってなかったぜ?」


 あっさり否定した。
 もしかしたら、同じ普通科の彼にも同じものが投下されているのではと思ったが、どうやら読みは外れたようだ。
 よくよく考えれば、土浦は普通科だけど経験者だし、第一セレクションで入賞するぐらいだ。演奏も音楽科顔負けだし。『身の程知らず』なんて言葉は、たとえ冗談でも言えるものじゃない。
 『身の程知らず』の初心者さんは、結局自分だけなのだ。
 は、それならいいんだけど、と言葉を濁した。


「なんだよ、俺に関係あることなのか?」


 せっかく天羽の追撃を振り切ったのに、今度は土浦に問い詰められそうになって、咄嗟に口を開いた。


「う、ううん、違うの。なんか、アンケートでね。コンクールについてどう思うか、みたいな意識調査だったから」

「アンケート?」


 土浦は訝しげに繰り返す。
 ちょっと無理があっただろうか。


「そう! だから、もしかしたらコンクール参加者のところにきてるのかなぁと思ったんだけど、なんか違うみたいだね」


 ばれないように、一気にまくし立てた。よけいに怪しいかもしれない。
 しかし、ここまできたらもう後には引けない。


「みたいだな、俺のとこには来てねぇよ。にしても、そんなもんやって、どうしようっていうんだろうな」


 幸いにも土浦は信じてくれたようだ。
 ちょっとした罪悪感にさいなまれつつも、だよねぇ、と相槌を打った。















 傷つかないって言ったら嘘になるだろう。
 でも、普通科にいけば、いつもと同じ学校生活が待っているし。
 昼休みとか放課後とかの、ほんの限られた時間と、ちょっとだけ具体化された敵意を我慢すればいいだけの話だった。
 



 最近は他の参加者のみんなとも仲がいいし。
 火曜と金曜は金澤先生のところにも行ける。



 楽譜の入った鞄をきゅっと握り締めた。




 ―――わたしは、頑張れる。




 誉めてくれたから。
 第二セレクションで入賞したとき。

 よくやったって。頑張ったなって。
 子供にするみたいに、頭を撫でて。





 ねぇ、先生。

 嬉しかったんです。

 先生のその言葉と、笑顔が。

 何よりも。



 だから。



 ぜんぜん平気。

 ぜんぜん大丈夫。




 傷ついて立ち止まってる暇なんて、わたしにはないんだから。










 次は、第三セレクション―――。















2005/2/27 up



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