10 惹かれるのは






 なんだか近頃、仲がいい。

 金澤は憮然として、そんなことを考えた。



 とにかくあいつらは目立つ。

 音楽科の連中は、例えば柚木や月森は前々から有名人で。明るく友人の多い火原も常に人だかりの中心にいて。
 コンクール参加者だということを差し引いても、確かに目立ってはいたのだけれど。

 ここ最近、特にそう感じるのは気のせいではない。
 今年は普通科からの参加者が二名も出たおかげで、音楽科のみならず普通科の連中もコンクールに興味を示している。つまりは学校中が注目するイベントだということで。その参加者たちが一つ所に集まっていれば、それは、目立つなと言うほうが無理な話なわけで。

 一日の授業を終えた今、音楽科の生徒達が練習に勤しみ、部活に所属している生徒達が活動に精を出し、特に用のない生徒達が友人と喋りつつ悠々と下校していくその中で。
 屋外のある一角だけがやたらと人目を引いていた。
 そしてその場所は、職員室にある金澤の席から、窓越しによく見える場所で。
 珍しく準備室に引きこもることなく、不本意ながらも机の上に仕事をひろげていた金澤ははからずも、たむろしている参加者七名の姿を見止めたのだ。


 本当に、一体いつのまにそれほど仲良くなったのかと思う。
 初めのころはお互いに意識しあっていたというのに。

 その最たる奴らが月森と土浦。
 あれはもう、犬猿の仲としか言いようがない。
 もとより参加者の中で友人同士だったのは三年生ペアの柚木と火原だけだったのだから、まとまりがないのは仕方がないと思っていた。

 そもそもコンクールで順位を競いあうライバル同士なのだから、それも自然な姿かと。
 教師としての立場上、仲良くしろよとは言っていたけれど、仲が悪ければ悪いで別になにか不都合があるわけではないから、特に何かをしようとは思わなかった。
 時にはその競争心が、その人間の音楽を変えることだってあるのだし。
 などと悠長に考えていたら、ふと気づいたときにはすでに彼らは親睦を深めていたのだ。
 相変わらず、月森と土浦の仲は最悪なようだけれど。


 いまも、また何か言い合いをしているのだろう。対峙する二人の間に一触即発の雰囲気が漂っている。
 冬海はおろおろとそれを見守っていて。火原はけらけらと笑い、柚木は初めから関わりはしないと傍観を決め込んでいる。志水はといえば、その場の空気をわかっているのかどうかさえ謎。
 そんなてんでばらばらな集団の中で、唯一二人の間に割って入ったのは普通科の制服の。いまどき珍しい黒髪の。よくおぼえのある姿。
 
 間違えるはずもない。このコンクールのダークホースと名高い、金澤の教え子、だった。
 彼女は慌てた様子で間に入ると、二人の顔を交互に見上げ、何事か口にしている。
 
 するとどうだ。
 今の今まで、目をそらしたほうが負けとでも言わんばかりに睨みあっていた二人の男が、それだけでふい、と顔を背けてしまう。
 
 そこまで見て、金澤はなるほどと納得した。
 連中の親睦が深まった理由は、おそらく彼女にあるのだろう。
 あの気が弱すぎるほど弱い冬海が、一癖も二癖もある男連中の中に混じっていられるのも、間違いなくが間にいるからで。
 月森と土浦の二人に関しては、先の様子を見れば一目瞭然。いまだ牽制しあってはいるものの、仲裁に入ったの苦笑を受けて臨戦態勢は解いている。
 火原は言うまでもなくを気に入っているようだし、柚木は柚木で彼女に興味を持っている様子が伺える。まぁ、奴の場合は、逐一反応の初々しいを見て、楽しんでいる節が無いとは言えないが。
 志水にいたってははっきりとしないが、あのマイペース人間が徒党を組んでいるところを見ると、何か要因があるのは確かなわけで。


 ふと、金澤はあることを思い出した。
 あれは、第二セレクションの途中だっただろうか。
 放課後のレッスンの合間に、にしたアドバイス。


 ―――いろんな人間の音楽を聴けよ。と。


 他の参加者連中の練習を聴けば、いい勉強になるだろう、と。
 そう言った翌日から、ライバルたちが練習しているのを見つけては、駆け寄って聴いてもいいかと尋ねるの姿が、学内のそこここで見られるようになった。
 一心に奏者を見つめ、音楽に聴き入るその様は、傍から見ても真剣そのもので。
 あまりに一心不乱なので、思わず吹き出しそうになったことがある。そこまですることはないだろう、と。

 それでも、の音楽はそうすることであきらかに変わっていって。
 曲の解釈は深くなり、音楽に対する勘もよくなった。
 自分の教え子が日に日に腕を上げる様を見るのは、正直嬉しい。
 自分はコンクールの担当だから、解釈や表現といったことに干渉するわけにはいかない。
 べつに採点するわけではないのだけれど、それでも気にはなるもので。
 だから、せめてあいつがなにかを掴むきっかけになればと思って、したアドバイスだった。

 そういえば、あのころからだったような気がする。

 参加者のメンバーが、たむろするようになってきたのは。


「………………」


 金澤は、仕事をする手を止めて窓の外を眺めた。
 彼らの関係は確かに進展していて。
 仲間意識とでもいうのだろうか。
 けれどその中に、大人である自分は他のものを見つけてしまう。



 ライバルとしての関係と、友人としての関係と、先輩後輩としての関係と。そして―――男と女としての関係と………。



 そう、それは、ごく自然な流れとも言えた。
 和やかなその空間に見え隠れする、独特の雰囲気。

 自覚があるのか無いのかは微妙なところであるが、それでも確かに存在するその感情。
 自分はとうの昔に捨てたそれを、彼らはこれから体験するのだろう。
 本人たちが気づいていないものを、傍で見ている自分が気づいてしまうのは複雑といえば複雑で。
 でもまぁ、自分は彼らの倍は生きていることだし。
 彼らがこれから経験するだろうそれの、甘さや残酷さを、自分は十分すぎるほど知っている。


「………若いねぇ」


 三十代の働き盛り。
 世間では男盛りとも言うけれど、ここにいる男はそれを無視してそう呟く。
 煙草に火をつけて、百害あって一利も無い、毒素を含んだ煙で肺を満たす。

 若さゆえの情熱と、幼さゆえの未熟さと。
 いま思えば、面倒くさいことこの上ないジレンマを抱えて。
 それでも前だけを見据えてひた走ったころ。走ることができたころ。

 その辟易するほどのエネルギーは、もう自分には残っていない。
 世の中の酸いも甘いも経験して、計算高く生きることをおぼえたので。
 無駄なエネルギーを消費しない、エコロジーな省エネ設計。
 そんな生き方を、自分はなかなか気に入っている。



 それでも。



 それでも時々、窓の外の世界を見てうらやましく思うのは、きっとコンクールの担当なんかになったから。
 柄にも無く、個人の教え子なんか持ったから。
 昔のことがより鮮明に思い出されて、少し感傷的になっているだけなのだと思う。



 その時。

 ぼんやりと窓の外に送っていた視線が、別の視線と不意に絡まる。
 驚いて、金澤はついていた頬杖を思わず外した。

 その先にいるのは、いまどき珍しい黒髪の。普通科の制服の。

 すっかり見慣れた教え子の姿。
 彼女は嬉しそうにこちらへ手を振って。

 よく気づいたものだと思う。
 自分がここにいるということを。
 二人の間にはそれなりの距離があって。
 おまけにこちらは室内で。
 決して窓に張りついていたわけではないのに。

 校舎に向かって手を振っているの視線を追って、犬ころのようにはしゃいでいた火原もまた、金澤の存在に気づいた。
 同じように、ぶんぶんと腕を振って来る。


「かっなやーん! なにしてんのー?」


 その大声に、周囲にいたほかの生徒たちが、何事かと火原たちの一団を振り返った。
 冬海とは驚いておたおたするが、他のメンバーは慣れているか気にしないかで悠然と構え、当の火原本人は構わず手を振り続けている。
 それを見て金澤は僅かに苦笑した。
 そして嘆息する。
 火原の能天気さは長所であるが、時に短所ともなる微妙なものだ。
 その無闇やたらな明るさが、時に勘に触ることも無きにしも非ず。


「仕事してんだよー。おまえさんたちも、遊んでないで練習しろよー」


 さも適当な口調でそれだけ言って、自分の机に向き直った。
 長くなった灰を灰皿に落とす。
 わかってるよー、と返す火原の声だけが耳に届いた。



 目の前には、甚だ不本意な仕事の山。
 それに仕方なく取り組みながら、金澤はふと考えた。


 あの時。


 彼女がこちらに気づく前に、もしも自分がそちらを見ていなかったなら、彼女はどうしただろうかと。


 それでも、彼女は気づいていたのだろうかと。




 そう考えて、苦笑した。








2005/2/18 up



戻る