9 錬金術師のお仕事?






「要求は、現在収監中の彼らの指導者を解放すること」


 才色兼備な副官から伝えられる内容を聞いて、上司であるロイ・マスタング大佐はうんざりしたように吐き捨てた。


「ありきたりだな」


 東部過激派の集団によって、将軍の一人が乗っているかもしれない列車がトレインジャックされた感想がこれである。
 それなりのあわただしさを見せる対策本部に、黒髪のまだ若々しさの残る青年は堂々と足を踏み入れた。


「それで、本当に将軍閣下は乗ってるのか?」

「今確認中ですか、おそらく」


 部下の返答に大佐は溜め息をついて。


「困ったな、夕方からデートの約束があったのに」


 まったく真剣味のない口調でぼやく。
 これでキャンセル決定だ。
 ただのトレインジャックならば、上司の自分がいなくても何とかなるだろうが、軍の上階級である将軍閣下が乗っているとなるとそうもいかない。
 大佐である自分が直々に指揮をとったという大義名分が必要なのだ。


「ここはひとつ、将軍閣下には尊い犠牲になっていただいて、さっさと事件を片付ける方向で…………」

「バカ言わないでくださいよ、大佐。乗客名簿あがりました」


 マジな顔でたわけたことを呟くロイに、フュリー曹長が出来たてほやほやの名簿を手渡した。
 それを横から覗き込みながらハボック少尉が、あららといった顔をする。


「あー、本当に家族で乗ってますね、ハクロのおっさん」


 本人がいないからと言って、将軍をおっさん呼ばわりする少尉。
 しかし影ではそれが流通しているのか、上司であるロイでさえそれを咎めることはしなかった。
 むしろ、同じように迷惑そうな顔をして呻く。


「まったく………東部の情勢が不安定なのは知ってるだろうに、こんな時にバカンスとは…………」


 その時ふと、乗客名簿の中のひとつの名前に目がとまった。
 そして先ほどまでとはうって変わって笑みを浮かべる。


「ああ、諸君。今日は思ったより早く帰れそうだ」


 残業覚悟で働いていた部下たちにそう声をかけて。


「―――鋼と白銀の錬金術師が乗っている」


 デート相手への電話は、少し遅れるという程度にしておこうと心の中で呟いたのだった。









           *









「しょうがない、オレは上から、アルは下からでどうだ?」


 しょうがないことになった原因を作り出した張本人の兄に、アルフォンスは、はいはいと頷いた。

 事の起こりは数分前。

 乗っていた列車を乗っ取った犯人グループの数人を、寝ぼけたエドが叩きのめしたことに始まる。
 銃を突きつけ緊迫した空気に包まれる車両の中で、豪胆にもいびきをかいて寝こけている少年を、犯人の一人が禁句でもって起こしてしまったのだ。
 禁句とはすなわち、ちっこいとかチビとか豆粒とか…………とにかくそういった、長さの足りないことを表現する語彙のことである。

 それに反応したエドが、突きつけられた銃を錬金術で妙な物体に変え、一人を蹴り倒し、弟が止めていた一人を問答無用で殴り倒し、穏便に済むかもしれなかったことを、そうもいかない状況に追い込んだのだった。
 こうなれば、何とか責任を取らなくてはいけないわけで。
 今まさに行動を起こそうというところだった。


「エド、私は?」

「ん?」


 車両の屋根に登ろうと窓枠に足をかけたエドに、後ろからが声をかける。
 ちなみにこの、エドとアルが犯人グループと大騒ぎしている間、ずっと眠りこけていたというつわものだ。
 兄弟に挟まれて安心しきっていたのか、窓にもたれたまま起こされるまで微動だにしなかった。


「あー、はここで待機……………」

「イ・ヤ」


 エドの提案に即座にきっぱりと応える
 その顔は満面の笑みだった。
 絶対に譲らないという意志が感じられる。
 仕方がないのでエドは溜め息をついて、アルについていくよう言った。


「いいか、絶対ムチャするなよ」


 エドの忠告には真剣な顔をして。


「ん、大丈夫。私、エドより冷静だから」

「たしかにね」

「おい!」


 さらりと言ったの暴言にアルが頷き、言われたエドは窓の上から突っ込むのだった。









           *









 アルの鎧姿に驚いた犯人グループの数人が、自らが放った銃弾に倒れたのをふん縛りながら、はアルに話し掛けた。


「ねぇ、アル。今向かってるイーストシティってさぁ、たしか東方司令部があったよねぇ」

「うん、そうだよ。それがどうかしたの? 姉さん」


 解けないようにしっかりと縄をかけ、兆弾があたった傷口に応急処置を施してから床に転がす。
 うんうんうめいている彼らを見下ろして、は何かを考えるように頭を傾けた。


「ってことはさぁ、イーストシティに向かってるこの列車で起こった事件ってのは、東方司令部の管轄になるんだろうね」

「たぶんね。もう駅では動いてるんじゃないかな。この人たち、犯行声明送ったって言ってたし」


 捕まえた犯人たちに、脅して吐かせた内容である。
 どうやったのかといえば、が自分の左手を刃物に練成して、その後ろでアルが拳を握り締めたのだ。
 そうすると、得体の知れない現象と得体の知れない鎧に怯えた彼らは、面白いほどぽろぽろといろんなことを話してくれた。


「その上、人質に将軍さんが乗ってるんでしょ? となると、たぶん指揮をとってるのって………………」

「ああ、マスタング大佐かもしれないって?」


 姉の言わんとしている事がわかったのか、アルがぽんと手を打ち合わせた。
 エルリック兄弟が懇意にしている上の知人。それがロイ・マスタング大佐だ。
 まだ三十路も過ぎたばかりだというのに、その若さで大佐にまで上り詰めた有能な軍人である。

 とアルは特にこれといった感情を持っているわけではないのだが、エドの方はどうやらあまり馬が合わないらしい。
 二人が顔をつき合わせるたびに、エドは臆面もなく不愉快な顔を曝すのだ。
 そのエドが、大佐の管轄である事件を解決しようとしている。それはつまり、はからずも大佐の手助けをしているということで。


「エド、気づいてるのかな」


 自分が大佐の仕事を引き受けてしまっているのだということに。


「どうだろう。ていうか、気づいてたら今ごろこんなことしてないんじゃない?」

「やっぱり? うーん、ま、事態を悪化させたのはエドだしねぇ」


 ここまでやってしまって、いまさら引き返すわけにもいかないだろう。
 どうせそろそろ片がつくころだ。
 扉の向こうはトレインジャックの首謀者がいる車両。
 いままさに、エドが彼らに向かって警告を発している。


『あらら、反抗する気満々? 残念、交渉決裂』


 微妙にひび割れた、甲高いエドの声が聞こえる。
 それによって兄が何か企んでいることを察したアルが、を手招きした。


「あ、姉さん、なんかくるよ。こっちに来て」

「ん」


 アルは扉のすぐ横に身をおき、その背中にを庇った。


『人質の皆さんは物陰に伏せてくださいねー』


 間の抜けた警告。
 それに続いたのは、大量の水が流れる轟音だった。
 水流の音に混じって、犯人たちの叫び声が聞こえる。

 カウントスリー、ツー、ワン……………。


「どぅわああああ―――!」



 どどどどど。



 アルフォンスがおもむろに扉を開けると、そこから大量の水と共に男が数人流れ出てきた。
 待ってましたとばかりに両の拳を打ち付けるアル。


「いらっしゃい」


 その後ろをかいくぐり、犯行グループの拠点であった車両にがもぐりこむ。
 床といい、壁といい、天井といい、車両全体が水浸しだった。
 その中の一室に、固まっている家族の姿を見つける。


(あれが人質の将軍か)


 父親である将軍以外、怪我をしている人はいないようだった。
 はそちらへと駆け寄る。


「ご無事ですか、将軍閣下」

「…………君は?」


 家族を抱きしめたまま、将軍は訝しげにを見上げた。
 それはそうだろう。
 彼からしてみれば、は娘と言ってもおかしくない年齢だ。
 その子供が、過激派の集団が占拠したはずの車両へ現れたのだから。
 は怯えた顔でこちらを見ている子供たちに微笑んで、


「私たちはエルリック。錬金術師です」


 そう答えた。


「エルリック? あの、国家錬金術師の……………」


 将軍が確認の言葉を最後まで口にする前に、は背後に感じた気配にすばやく振り向いた。
 そこには、水浸しになった犯行グループのリーダーが必死に起き上がっていて。
 こちらを鬼気迫る形相で睨んでいる。


「まだだ! まだ、切り札の人質が…………! どけぇ、小娘ッ!」

「―――っ!」


 吠えたリーダーがこちらへ突進してくる。
 しかしそれより速くが両手を打ち鳴らし、列車の床に手をつけようとした。

 瞬間。

 降り立つ小さな影。
 リーダーが構える銃器型の機械鎧に、その鋼の剣が食い込むのと、の練成が完成するのとは、ほぼ同時だった。


「なんだ、安物使ってんなぁ」


 鉄の壁の向こうでそんなエドの声がする。
 その次の瞬間には、鉄を断ち切る音と何かを殴り飛ばす音が同時に響いていた。





2005/03/30 up




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