8 根無し草の暴挙
「…………あの……」
顔を引きつらせた中尉一名、度肝を抜かれて目を見開いている下っ端軍人二名。
彼らを前にして、エルリック家の長子は堂々とのたまった。
「炭鉱の経営権を、丸ごと売ってほしいって言ってるんだけど」
その後ろには、おびただしい量の金塊。
まばゆい光を放っている。
顔を近づけ、全部本物? などと言っている下っ端軍人たちの顔は、相変わらず驚愕の表情を浮かべていた。
「足りませんかねぇ」
「めめめ、滅相もない!」
エドがあごに手をやって言うと、中尉はちぎれんばかりに首を振って。
次の瞬間にはドリームの世界へ飛んでいる。
「これだけあれば、こんな田舎おさらばして…………」
めくるめく輝かしい未来に、中尉は似合いもしないきらめかしいオーラをまとわせている。
おそらくその思考の中は、ろくでもない事ばかりなのだろうとが考えていると、中尉の視線がちらりとこちらへ向けられた。
それに気づいたエドが、
「ああ、中尉のことは、上の方の知人にきちんと話を通しておいてあげましょう」
さわやかな笑みを浮かべてそう言う。
しかたなくもにっこり笑って。
「ご心配は無用ですよ。懇意にさせていただいている方が、東方司令部のほうにいらっしゃいますから」
と駄目押しを押せば、中尉の顔はさらに輝いた。
「錬金術師殿っ!」
涙を流しながら恩人二人の手を握ろうとしたのだが、の手を取るよりも先に、エドが全面的に応えてきたのでそれはかなわなかった。
はははと笑いながら握手を交わすその後ろで、エドはさりげなくを下がらせる。
そのをさらにアルが自分の後ろへ庇った。
まるで中尉が病原菌かなにかでもあるかのような対応だった。
あんまりといえばあんまりだが、ヨキ中尉は感激のあまりその事実には気づいていない。
ぶっちゃけエドとアルには、こんなろくでもないオヤジにを触らせるつもりなど、これっぽっちもないのだ。
むしろ世の中の男の九割方は、の周りを飛び回る害虫だ。
エドに至っては、実の父親ですらその対象としている節がある。
昔からそういうきらいはあったのだが、旅に出るようになっていっそう二人の反応が過敏になってきているように思うのは、の気のせいではあるまい。
「だけどエドワード。この金を練成したことがバレたりしたら、私たちだけでなくこの金を受け取った中尉殿たちにも、キツイお咎めがいくんじゃない?」
「うっ………」
の言葉に、めくるめく妄想に浮き足立っていた中尉が顔を青ざめさせて呻いた。
エドはまるで今気づいたとばかりに手を打つ。
「おっと、それはうっかりしてた……………。いや、なに、心配はいりませんよ、中尉殿。経営権は無償で穏便に譲渡したっていう念書を一筆書いていただければ、バレることなんてまずありませんから」
どんどんその色を変えていく中尉に、エドは安心しろと笑いかけた。
そのとたん、中尉はあからさまにほっとした顔をする。
「それでは、早速手続きの方を」
これ以上なにかない内にと、部下に言って手続きに必要な書類を持ってこさせる。
その手はやはり、せっせと揉み手を繰り返していた。
書類を前に、中尉がエドに顔を近づける。
「しかし、錬金術師殿もなかなかの悪ですのう」
「いやいや、中尉殿ほどでは」
ほほほ、ふふふといやな笑いを互いに漏らす二人は、すっかり姑息な悪役気分だった。
それを後ろで見守っていたアルは、
「…………兄さん、楽しそうだね」
と、隣にいる姉に、呟くように言ってみた。
なんとなく、そんな兄の姿に思うところがあったので。
しかし、は。
「楽しいんじゃない?」
と、とてもあっさりと返したのだった。
「はーい、皆さん。シケた顔ならべてごきげんうるわしゅう!」
扉を開けるなりエドが叫んだのは、そんなふざけたセリフだった。
その後ろについているアルとはニコニコと満面の笑みで。
今まさに、殴りこむか否かの緊迫した言い合いをしていた炭鉱夫達は、心底嫌悪の視線でそちらを見やった。
どんな理由があったにしろ、彼らにとってエドたちは自分たちを見捨てた軍の狗なのだから、とげとげしいその態度は至極まともだと言えるだろう。
「……………なにしに来たんだよ」
早く帰りやがれとその口調が告げている。
しかしそんなカヤルを見てエドは、
「あらら、ここの経営者に向かってその言い草はないんじゃないの?」
と吹いて見せた。
とうぜん、彼らに対する反感は倍増されるわけで。
「てめ、なに言っ………!?」
案の定、息巻いて詰め寄ろうとした一人の炭鉱夫に、エドは無言でばさりと書類の束を突きつけた。
羊皮紙の高級感漂うそれ。
「…………これは……」
「ここの採掘、運営、販売その他、全商用ルートの権利書」
その中の名義の蘭には、堂々と『エドワード・エルリック』の名前が。
エドはにやりと笑う。
「そう! すなわち今現在! この炭鉱はオレの物ってことだ!」
驚愕の事実に、開いた口がふさがらない。
壊れた胡桃割り人形か何かのように、炭鉱夫達は呆けた顔をならべている。もうそれしかすることがなかった。
こんな嫌味で憎たらしい小僧っこが、今日からここの経営者。すなわち自分たちの雇い主。
あの横暴でいけ好かない人間のクズであるヨキと、いったいどちらがマシだろうかと一瞬考えたが、結局どちらも似たような物だと思った。
「………とはいえ、私たちは旅から旅の根無し草」
「こんな物なんて邪魔になるだけだよね、姉さん」
後ろでとアルが腕を組む。
どうしたものかと溜め息をついて、ちらりと意味ありげに親方の方へ視線をやった。
「…………俺たちに売りつけようってのか? いくらで?」
親方は警戒心満載な顔でエドたちを見やる。
それにエドはにやりと笑って。
「高いよ? なにかを得ようとするなら、それなりの代価を払ってもらわないとね」
机代わりにしていた樽の上に、権利書の束を放り出す。
「なんてったって高級羊皮紙に金の箔押し、さらに保管箱は翡翠を細かく砕いたもので、さり気なくかつ豪華にデザインされてる。うーん、こいつは職人技だね。おっと、かぎは純銀製ときたもんだ」
べらべらと言い連ねていくエドを、呆気に取られた目で見つめる人々。
いったい何がいいたいのか、よくわからない。
なんとなく、今問うべきはそんな書類の材質やら箱の作りやらのことではないような気がするのだが、エドはかまわず話を進めていく。
「ま、素人目の見積もりになるけど、。どう思う?」
話をふられたはにっこり微笑んで。
「そうだねぇ。書類本体と保管箱全部込みで―――親方さんの所で一泊二食の三人分ってところかな? 食事にデザートがついてるとなお嬉しいんだけど」
「だ、そうだけど?」
どうする? と樽に肘をつくエドワード。
目の前の親方は呆気に取られてしばらく何も言えない。
「あ…………等価交換………」
カヤルの呟きに、ようやく身体と脳がリンクした。
ぴしゃりと額に手を当てる。
「はは………はははは、たしかに高ぇな!」
このとんでもない提案に、いったい誰が笑わずにいられるというのだろうか。
いいだろう、うちのかみさんが作る、特製絶品焼き菓子をデザートにつけてやろうじゃねぇか。しかも食後の茶まで用意して。
親方はひとしきり笑うと、目の前の樽を豪快に手で打ち鳴らし。
「よっしゃ買った!!」
「売った!!」
間髪おかずにエドの応えが返ってきた。
ちょうどその時。
「錬金術師殿! これはいったいどういう事か!」
血相変えたなまず髭のヨキ中尉が部下と共に、扉を蹴破らんばかりの勢いで駆け込んできた。
その手には、黒やら灰色やらの悪石が握られている。
「これはこれは中尉殿。ちょうど今、権利書をここの親方に売ったところで」
「なんですとーッ!?」
しれっと応えるエドに驚愕した中尉だったが、それよりもまず問わねばならないことがあったことを思い出し、手の中の石くれを指差してエドワードに詰め寄った。
「いや、それよりも! あなた方にいただいた金塊が全部、石くれになっておりましたぞ! どういう事か説明してください!」
怒りのあまり青ざめてしまっている中尉。
それを見て、アルがぼそっと。
「………いつ元に戻したの」
「さっき出がけにちょろっと」
楽しそうな様子の兄を見下ろして、やはりこの人は悪だとあらためて思う。
しかし納得のいかないのはもちろん中尉殿で。
金塊なんて知らないというエドに憤慨し、
「とぼけないでいただきたい! 金の山と権利書を引き換えたではありませんか! これではサギだ!」
と訴えるのだが、今度はが微笑みを浮かべて。
「中尉殿? 言いがかりはよくないですよ。証拠もなくそんなことを言われては、こちらとしても甚だ不本意ではありますが、不敬罪で軍法会議にかけることも……………」
軍法会議と聞いて一瞬怯む中尉。
いくら年端もいかない子供とはいえ、相手は国家錬金術師。階級は少佐扱いだ。しかるべき手順を踏めば、中尉である自分を軍法会議にかけて首を飛ばすことなど容易に出来るだろう。
しかし、ここで引き下がっては、あのめくるめく輝かしい未来は水泡に帰してしまう。
それだけはなんとしても納得いかなかった。
「言いがかりなどとはあんまりな! 私は確かにこの炭鉱の経営権をあなた方に……………!」
「ええ、無償で穏便に譲渡してくださったんですよね。ここにほら、念書もありますし」
ひらりとが取り出したそれを見て、中尉は愕然とする。
それは確かに自分が書いた物だった。
ご丁寧に印まで押して。
それもこれも、全ては金を練成したことがバレて自分に害が及ばないよう、念を入れて講じた裏工作。
自分の保身に用意したはずのそれが、今はぐいぐい自分の首をしめている。
だまされた。
その事実にようやく思い至った中尉殿は、怒りに震える拳を握り締めて部下に命じた。
「この取り引きは無効だ! お前たち、権利書を取り返……………!?」
せ、と最後まで言いきる前に、前にそびえ立つ影に身をひく。
たちと中尉たちの間に割って入ったのは、日々の過酷な労働で鍛え上げられた、屈強な肉体美を誇る炭鉱の男たちだった。
軍属で鍛えられた生半可な肉体など、愚にもつかない。
下っ端軍人二名は、はかなくも彼らのもとに散ったのだった。
後に残されたのは、軍人でありながら訓練とは縁遠い生活を送ってきたヨキ中尉。
くるりと振り返ったエドにびくりと身体を震わせて。
「あ、そうだ中尉。中尉の無能っぷりは上のほうにきちんと話を通しときますんで。そこんとこよろしく?」
さわやかな笑顔を惜しみなく振り撒いてエドが告げれば、これ以上ないぐらいに青くなった中尉は、その場にへなへなと崩れ落ちた。
破れたり我が野望…………というほどたいした物でもないが、これから先、彼の出世の道が永遠に絶たれたことには違いない。
すっかり英雄扱いになったエドはといえば、狂喜乱舞する男たちに頭から酒をかぶせられていた。
「飲めェー! 飲まんと大きくなれんぞぉ!」
「未成年者に酒飲ますなよ!」
「なにぃ!? 俺がおめーぐらいの時にはなぁ…………」
酒のせいだけではない興奮は止めることなど出来ない。
もみくちゃにされるエドとアル、そして。
「おお、嬢ちゃんも飲みねぇ飲みねぇ!」
「そうだぜ! 今日は俺達のおごりだ!」
「は、えと、あの…………」
別々に取り囲まれてしまったせいで、の周りには他の二人と同じように男たちが群がっている。
酒やら食べ物やらを次々と差し出されて困っていると、人垣の隙間からエドが身を乗り出しているのが見えた。
「こるぁあ! おやじども! に手ぇ出したらただじゃおかねぇ!」
などと叫んでいるのだが、いかんせん身長が足りないために人垣を乗り越えられない。
もどかしげにもがくエドを押さえつけて、歓喜の酒宴は夜遅くまで続いたのだった。