7 彼らの場所
「ふーん……腐ったおえらいさんってのは、どこにでもいるもんだな」
アルが持ってきてくれたサンドイッチを半分に切り分けて、エドは片方を包んでいた紙と一緒にに渡す。
飲み物はそのまま交互に口をつけた。
話はアルフォンスが、店の中で聞いてきたこの街の支配者のこと。
出世欲に目がくらみ、政府高官に賄賂をせっせとおくり続けているらしい。そのせいで、ここで働く人たちの給料はすずめの涙程度とか。
「おかげで充分な食料もまわって来ないんだってさ」
「……………ふーん」
エドとは神妙な面持ちで、手の中にあるそれに視線を落とした。
自分たちが食べる分も事欠いているのに、よそ者の自分たちに出してくれた食料。
きっと、このユースウェルはいい街なのだと思う。
そのヨキとかいうろくでもない支配者さえいなければ。
「しかし、そのヨキ中尉とやらのおかげで、こっちはえらい迷惑だよな。ただでさえ軍の人間てのは嫌われてんのに」
エドはから受け取ったマグカップを傾け、温かなお茶を口に含んだ。
白い湯気が夜の空間に漂う。
「…………覚悟のうえで国家資格を取ったんだけ、ど。やっぱりここまで毛嫌いされるのは、ちょっと、ねぇ」
寒いわけでもないのに、ぎゅっと両膝を抱えてが呟いた。
すべての人に好かれることなんて不可能なことはわかっているけれど、それでも胸が痛いことには変わりない。
こうあからさまに憎まれてしまうのには、どうしても慣れることができなかった。
「…………………ボクも国家錬金術師の資格、取ろうかな」
がエドからマグカップを受け取った時、アルがぽつりとそんなことを呟いた。
二人は弟の横顔を見やる。
「やめとけ、やめとけ! 針のムシロに座るのは俺たちだけで充分!」
「それに、今日みたいな時はアルがいないと困るもん。エドと二人っきりだったら、きっとまだその辺に転がってるよ」
エドは苦笑いを浮かべて空を見上げ、はアルに微笑みかけた。
アルはか細く、それでも穏やかな声でうんと頷く。
「軍の犬になり下がり………か。返す言葉もないけどな」
エドの呟きに、三人はふと視線を落とす。
「おまけに禁忌を犯してこの身体………。先生が知ったらなんて言うか…………」
深いため息をひとつ吐いて、三人ははからずもまったく同じことを想像した。それも鮮明に。
もし、自分たちの師匠にこれらのことがバレたなら………。
「こっ………殺される………!!」
確実に。
申し開きも聞いてもらえぬまま、それこそ瞬殺かもしれない。
異常なほどの震えが三人を襲った。
真剣に命の危機だった。
あまりにリアルなその未来予想図に、三人がおびえていたとき。
急に宿屋の入り口の方が騒がしくなった。
なにやら荒々しい足音と怒鳴り声が響いてくる。
「なんだ?」
「どうしたんだろ、何かあったのかな」
はカップをトレーに置くと、先に立って歩いていったエドの後を、アルと共についていった。
*
「ふざけんなっ!」
べしょり、と。
程よく濡れた使い古しの雑巾を、カヤルは偉そうなナマズ髭の軍人に投げつけた。
ヒットした場所はナマズ髭の額。
生え際が少々後退した、広い額の上だった。
取り巻きの見るからに下っ端軍人が、息巻いてカヤルに掴みかかろうとするが、それよりもナマズの方が速い。
手の甲でカヤルを殴り飛ばす。
「子供だからとて容赦はせんぞ」
ナマズの合図に従って、下っ端がレイピアを抜いた。
狙われたのは、床に倒れているカヤル。
みせしめだ、と。
その一言で振り下ろされる凶刃。
その場にいた全ての人間が息を飲んだ。
しかし。
―――ガキンッ!
店内に響き渡ったのは硬質な金属音だった。
状況的にありえない効果音に、人々は唖然とする。
なぜならそのレイピアを受けたのは、同じ刀剣類でもましてや盾などでもなく。
金髪の少年の、右腕だったのだから。
そのうえ、少年の腕を切り落とす予定だったレイピアは反対に折れてしまい、鈍い音を響かせる。
「なっ………なんだ! どこの小僧だ!?」
ナマズの中尉殿は、突然現れ非常識な現象を引き起こした少年を指差して叫ぶ。
この場合、最も無難な対応だろう。
しかしその答えを得る間もなく、中尉殿は後ろから囁かれた言葉に勢いよく振り返ることになる。
「―――中尉さん? 言葉の使い方には気をつけたほうがいいですよ」
にっこりと微笑む金髪の少女が自分を見上げていた。
瞬間的に、似ていると思う。
あのどこかの小僧に。
「なんだ、小娘。誰に口をきいていると…………」
「もちろん、あなたに」
一層微笑みを深くした少女に、開いた口がふさがらない。
中尉が怒りを思い出す前に、少女は再び口を開いた。
今度はコートの懐を探りながら。
「軍隊は完全なる縦社会。自分よりも地位が上の者に、不敬をはたらくのはいかがなものでしょう」
ね? と首をかしげる少女。
その手に握られる銀色の懐中時計を、訝しげな顔をしている中尉の目に示して見せた。
とたんに変わる、中尉の顔色。
「申し遅れましたが、私は・エルリック。あっちの小僧がエドワード・エルリック。私の兄です」
「どーも、通りすがりの小僧です」
自分が犯した失言を連呼され、中尉はますます青ざめた。
「中尉殿、なんです、このガキども……っで!」
「馬鹿者おッ!」
事態を何もわかっていない部下にげんこつをくらわせて、中尉は必死の形相で部下に耳打ちした。
こそこそとなにやら会話を繰り返す中尉と部下。
「………なんかちっこいって聞こえたぞ」
「はいはい。短気おこして全部だいなしにしないでね」
中尉に向けていた笑顔を貼り付けたまま、はエドに釘を刺す。
わかってるよ、と呟くエドも、こそこそと密談をする軍人たちを大胆不敵な態度で見やった。
ようやく話がついたのか、こちらを振り返る中尉。
その顔には先ほどまでとはうって変わった、笑みが浮かべられている。
もっとも、下心見え見えの、なんだかいやらしい笑みだったが。
ご丁寧にも揉み手までして、エドとへ擦り寄った。
「部下が失礼いたしました。私、この街を治めるヨキと申します」
一番無礼を働いたのは自分のくせに、それらを部下に押し付けて上司はせっせとごまをする。
降って沸いた出世の機会を、逃すものかという気迫が感じられる。
典型的な小物悪徳政治屋の見本かと思われるこのナマズ軍人と話をするのは不愉快極まりないのだが、そんな事は億尾にも出さずに微笑んでそれを聞いている。
エドはなんとも小憎たらしいでかい態度で中尉を見ていたが、是非にという招待を受け、わざとらしいくらいの笑顔を浮かべてそれを快く受けた。
「そんじゃお願いしますかねー。ここの親父さん、ケチで止めてくれないって言うんで」
しかも周囲の人間の逆鱗を盛大に逆撫でまでして。
入ってきた時と同じように不遜な態度で店を出て行く間際、ヨキ中尉はがらりと口調を変えてその場にいる街の人々にはき捨てた。
「いいか貴様ら! 税金はきっちり払ってもらうからな! また来るぞ!」
乱暴に扉が閉ざされ、後に残ったのはもともと悪い目つきをいっそう凶悪にしている炭鉱夫達と、いつの間にやらその場になじんでいた巨大な鎧のアル。
むかつくっ! と頭をかきむしる人々に、アルが「どっちが?」と訊いてみれば、間髪おかずに返ってきた答えは、
「両方っ!」
だった。
*
その夜。
ユースウェル炭鉱の街に火の手が上がった。
燃えたのは一軒の食堂兼宿屋。炭鉱夫達のリーダー、ホーリングの店。
この街の支配者、ヨキ中尉に招待され、エドとがその屋敷へと宿泊した次の日の夜のことだった。
「…………親父が錬金術をやってたのは、この街を救いたかったからなんだ」
焼け残った看板を抱え、見るも無残な姿となった店の前に跪く両親から離れ、カヤルは座り込んだままぽつりと呟いた。
その顔はすすに汚れ、必死の消火作業で疲労困憊している。
騒ぎを聞きつけエドとが駆けつけたときには、もうすでに全焼してしまっていた。
人々は、ヨキの部下たちが昨夜このあたりをうろついていたと囁いている。
「なぁエド。あんた黄金を練成できるほどの実力者なんだろ? ぱっと練成して、親父………街を救ってくれよ……!」
つらい現実の中で、かろうじて望みを見つけた瞳でカヤルがエドを見上げたが。
「だめだ」
エドは短く切り捨てた。
「そんな………いいじゃないか、減るもんじゃなし! なぁ、。あんたも国家錬金術師なんだろ? 頼むよ、俺たちを助けてくれよ……」
「……………」
は眉根を寄せて沈黙している。
カヤルの縋るような目を受け止めながら。
「だめだって言ってんだろ。錬金術の基本は等価交換! あんたらに金をくれてやる義理も義務も、オレたちにはない」
が答える代わりとばかりに、エドが冷たく言い放った。
「てめぇ…………てめぇ、それでも錬金術師かっ!」
力なく地に両手をついていたカヤルが、エドの襟首を掴みあげる。
反対の手は拳を硬く握っていて。
歯を食いしばり、涙を浮かべ、湧き上がる感情が一線を超えてしまわないよう、押さえているようにも見えた。
その腕に、がそっと手をかける。
「錬金術師よ大衆のためにあれ?」
どちらかといえば優しげな印象を受けていたの目が、今は冷たく冷めていることにカヤルは気づく。
静かな声はその瞳と同じように、冷たく鋭かった。
「それが理想なのかもしれないけどね、私たちは国家錬金術師なの。軍に属し、命じられれば軍のために働く。その私たちが、民衆のためなんてキレイごとを口にすると思う?」
命令さえ下れば、各々がもつ錬金術の技術を駆使して、国土を焼き、民衆を傷つけることすら辞さないだろう。いや、正確に言うならば辞すことなど許されない。
「それに、ここでオレたちが金を出したとしても、どうせすぐ税金に持っていかれて終わりだ。あんたらのその場しのぎに使われちゃ、こっちもたまったもんじゃねぇ」
エドはカヤルの手を振り払い、コートの裾を翻して背中を向けた。
「そんなに困ってるならこの街出て、ちがう職さがせよ」
そんなエドを咎めることもなく、はアルを促してエドの後に続く。
後ろでは、悔し涙をぬぐうカヤルと、その肩を抱く父の姿。
「小僧、おまえにゃわからんだろうがな、ここが俺達の家で棺桶よ」
その言葉に一瞬だけエドは視線を向けたが、またすぐに歩き出したのだった。
石炭ではない悪石が、山のように積まれた廃石置き場。
その間をエドが心持ち早足で歩いていく。
しばらくはその後を黙ってついて行っていた弟妹だったが、不意にがエドのコートの裾を引っ張った。
「エド………」
「………………」
足を止め、くるりと後ろを振り返る。
そこには、上目づかいに自分を見上げている妹の姿。
明らかに何かを訴えている瞳。
「これ以上ほっとくのは、どうかと思うん、だけ、ど………」
尻すぼみになっていくのは、エドが呆れたような目でこちらを見ているから。
エドには考えがあって、それがわかっていたから小芝居に付き合っていたのだけれど。
これはあまりにひどすぎると思ったのも本当で。
「ね、エド…………」
小首をかしげてそう訴えられ、エドの口から盛大な溜め息が漏れた。
右手で額をおさえて脱力する。
昔から、この仕草をされると弱かった。
エドもアルも、にこうして訴えられればきいてやらずにはいられない。
それは今も変わってはいないわけで。
アルにはこの後兄が取る行動が、はっきりと予想できた。
「わかったよ」
そう投げやりに言って、の頭をかき混ぜる。
やはりアルの予想通りだった。
「アル、このボタ山、どれくらいあると思う?」
目の前にある悪石の山を視線で指して、エドが弟に問い掛ける。
アルは少しだけ首をかしげて。
「うーん? 一トンか………二トンくらいあるんじゃない?」
姉に対する兄の行動は予測できたが、これから何かやろうとしているエドの考えまではわからなかった。
だから、次に言われた言葉に驚く。
「よーし、今からちょいと法に触れる事するけど、おまえ見て見ぬふりしろ」
「へ!?」
よいしょと掛け声をかけながら、悪石を積んだ巨大なトロッコによじ登る。その後をがついてきているのを見て、エドは下に手を貸した。
「…………それって、共犯者になれってこと?」
「ダメか?」
を下から押し上げながらアルが聞けば、すでに両手を合わせてしまっているエドが聞き返す。
「アル?」
も上から覗き込んで心配そうな顔をしていて。
アルは深く溜め息を落とした。
「ダメって言ったってやるんでしょ? それに、姉さんにそんな顔されて、ボクが断れるわけないじゃないか」
そう答えれば、がにっこりと微笑み。
「ありがとう、アル。大丈夫、バレなきゃいいんだから」
「そうそう」
頷きながら二手に分かれて練成を行う兄と姉を見上げ、アルは再びやれやれと息をついた。
「悪い兄姉をもつと苦労する」
夜のひっそりとした闇に、まばゆいばかりの青白いプラズマが輝いたのは、わずか数十秒足らずのことだった。