6 夜の炭鉱
ぐううう〜
「………ハラへった」
鈍い音を盛大に響かせて、鞄を枕に倒れ伏したエドが呻いた。
その隣には、同じく鞄を腕に抱えて座り込んでいる。
「列車の中で何か買っておけばよかったねぇ」
こちらもかわいらしい腹の虫を鳴かせている。
今は夜。
寝るような時間ではないが、宿を取り、食事を終えて部屋でくつろいでいてもいい時間。
それだというのに目下のところ、二人は星がきらめく炭鉱町の夜空の下で、空腹を抱えて転がっていた。
時をさかのぼること数時間前―――。
炭鉱町にしては少々イメージの異なる、ここユースウェルに到着したエルリック兄妹。
列車を降り、きょろきょろとあたりを観察していたところ、
「お! 何? 観光? どこから来たの? 飯は? 宿決まってる?」
エルリック兄妹の長子、エドワードの頭に角材をクリティカルヒットさせた少年に、
「親父、客だ! 金ヅル!」
金ヅル呼ばわりされたうえで、半ば無理やりひとつの宿屋へ連れて行かれたのだった。
*
その宿は、エド達を問答無用で引っ張ってきた角材少年――カヤルの両親が経営する食堂兼用の店だった。
ずいぶんと質素な様子だが、店内は炭鉱夫と思われる男たちでにぎわっている。
カヤルの父は、炭鉱夫たちからの信頼も厚い、好人物のようだ。
誰も皆その仕事柄のせいか、少々粗野な印象を受けるのだが、人柄はひどくあたたかかった。
「えーと、一泊二食の三人分ね」
「いくら?」
確認に来た優しそうな女将さんに、エドがたずねる。
すると、中間達と騒ぎながら酒を運んでいた親方の目がキラリと鋭い光を放った。
「高ぇぞ?」
ニヤリと何かたくらんでいるような笑みを浮かべる。
「ご心配なく。けっこう持ってるから」
「三十万!」
何の心配もしていなかったエドが、盛大にこけた。
「さ、三十万って、一ケタ違わないですか…………?」
頬を引きつらせる。
それを見た親方がエドやアルに向けるものとは少し違った笑みを浮かべて。
「嬢ちゃん、ずいぶんべっぴんだなぁ。よし、嬢ちゃんならまけてやってもいいぞ。ただし一人分」
「は、はぁ………」
テーブル越しとはいえまじまじと顔を見られて、は少し腰をひいた。苦笑いを浮かべながら。
「に汚ねぇ手でさわんなよ、おっさん」
「ほほ〜う、言うじゃねえか小僧」
復活したエドが二人の間に割り込んで、ヤクザのガン飛ばしよろしく親方にメンチをきる。
親方も負けじとメンチをきりかえした。
二人の間に大人気なくも散る火花。
しかし、決着は思わぬ人の手によってつけられた。
それは………。
「あなた…………」
「―――っ!?」
とても静かなその声に、親方がびくりと肩を振るわせる。
恐る恐る振り返ってみれば、そこには剣呑なオーラを背負った女将さんの姿が。
これには関係のないエドもアルも、その場にいた男どもは皆、心のそこから震えあがった。
屈強な炭鉱の男たちの体が、二周りは縮んで見える。
「―――とにかく、そんなぼったくりもいい値段、払えるかよ。他あたる!」
そう言ってきびすを返そうとしたエドの頭を、親方が後ろからがっしりとつかんだ。
「逃がすか、金ヅル!」
おどろおどろしいまでの気迫でもって、アイアンクローをかます。
「あきらめな、兄ちゃん。よそも同じ値段だよ」
苦笑を浮かべたカヤルにそう諭されて、しかたなくエド達は緊急兄妹会議を開いた。
「…………足りん」
旅をするには事欠かない程度に膨らんだ財布を探ってエドが呻く。
も同じように財布を探り、無言で首を横に振った。
アルは着替えやら食事やらが必要のない身体なので、元から鞄も財布も持ち合わせてはいない。
「しかたない、とりあえずだけでもここに泊まって、オレとアルは…………」
「そんなのダメだよ、二人も疲れてるのに」
絶対にいやだと、はエドの提案を断固として拒否する。
こうなってはどうやっても納得しないことはわかっていたので、エドとアルは再び頭を悩ました。
は何か金目のものはないかと鞄をあさる。
「こうなったら、錬金術でこの石ころを金塊に変えて!」
悩みすぎてとうとう犯罪にまで思考が及んでしまった兄に、弟は呆れたように首を振った。
「兄さん、それは国家錬金法に………」
「そっか、その手があった」
しかし、弟の善良な発言は、その姉によって遮られてしまった。
はぽふんと手を打つ。
「だろ? ここは炭鉱。石にゃことかかねぇし」
「こっそりちょちょっとやっちゃえば…………」
「もうっ! なに言ってるのさ二人とも!」
額をつき合わせて悪事の相談をはじめた兄と姉を、アルがびしりと指差す。
「金の練成は国家錬金法で禁止されてるでしょ!」
真人間の鏡ともいえるその態度。
しかし、エドは悪徳な笑みを浮かべてふふふと笑う。
「バレなきゃいいんだよ、バレなきゃ」
その隣でもこくこく頷いて。
アルはちょっぴりセンチメンタルな気分になった。
「姉さん………やっぱり姉さんって兄さんの妹なんだね」
なんて呟いてみる。
「………………」
ふと。
三人で額を突き合わせていたところに、いつの間にやら増えていた顔を発見して。
「親父! この人たち錬金術師だ!」
沈黙していたら、そう叫ばれた。
とたんに群がる炭鉱夫たち。
もみくちゃにされそうになって仕方なく、エドは頼まれたつるはしの修理をやって見せた。
新品同様になったつるはしを前に、歓声が上がる。
「いやあ、嬉しいねぇ! 久しぶりの客が錬金術師とは!」
先ほども笑みを浮かべてはいたが、それとは違った柔和な笑みになった親方が、エドとに食事を運んできてくれた。
話を聞けば親方も以前、錬金術を学んでいたのだという。
「術師のよしみで代金サービスしとくぜ」
親方の言葉に、いくらになったのかと期待を膨らませてみれば。
「十五万!」
「まだ高いよ!」
やはりそれほど世間は甘くなかった。
だがとりあえずありつけた夕食に、二人は自然と顔をほころばせる。
「そういや名前聞いてなかったな」
「あ、そうだっけ?」
ナイフとフォークを手に取り、エドは親方との会話も半ば上の空で皿を見つめた。
「エドワード・エルリック」
さあ、いざ食べましょうとフォークを振り下ろした瞬間。
ガツリ、と。
伝わってきたのは肉を刺す柔らかな感触ではなく。
木製のテーブルにフォークの先が突き刺さっていた。
エドが、皿を取り上げた親方を訝しげに見やる。
も手を止め、きょとんとそちらを見上げた。
親方の柔和な笑顔は依然として変わっていなかったのだが、どこか妙な雰囲気をまとっていることに気づく。
「錬金術師でエルリックっていったら―――国家錬金術師の?」
その一言で、店中の空気ががらりと変わった。
なにやら不穏な空気を感じながらも、エドは一応愛想よく頷いてみる。
「まあ、一応…………」
手にとろうとしたマグカップも、すばやい動きで取り上げられた。
「てことは嬢ちゃんは、・エルリックか? 双子の妹の」
「は、はあ、そうですけ………どっ!?」
最後まで言い終わる前に問答無用で襟首をつかまれ、エドと一緒に外へ放り出された。
がたいの大きいアルだけは、他の炭鉱夫たちの手によって担ぎ出される。
「こらー! オレたちゃ客だぞ!!」
突然の急変とあんまりな扱いにエドが抗議の声をあげたが、それはこともなげに切り捨てられた。
扉から顔だけ出した親方が吐き捨てる。
「かーっ、ぺぺぺっ! 軍の犬にくれてやるメシも寝床も無いわいっ!」
まるでごみでも見るかのような目で見られ、エドの額に怒りの四つ角が現れるが、
「あ、ボクは一般人でーす。国家なんたらじゃありませーん」
「裏切り者っ!」
弟の言葉にショックを受けて、怒りはそちらへ向けられた。
は呆然とそれらを見守り、アルは親方たちに迎えられて、エドがひとしきり怒った後。
騒ぎ出した腹の虫に、エドとは仕方なく宿の軒下に腰かけ、話は冒頭に戻るのである。
「ちくしょ〜、アルの奴ぅぅ〜」
「末っ子は要領がいいっていうのは、本当だったんだねぇ」
いいかげん腹の虫も元気がなくなってきた。
エドの恨み節とのため息が、晴れた夜空に虚しく響く。
これはもう、夕食抜きの野宿を覚悟するかと思い始めたとき。
「ボクに出されたの、こっそり持ってきた」
暖かな飲み物とサンドイッチをトレーに乗せた要領のいい末っ子アルフォンスが、二人の前に天使のごとく舞い降りたのだった。
天使にしては少々ごつくて鉄の塊だったりするのだが、それでも今のとエドにとっては救い主にさえも見える。
「弟よッ!」
二人してアルの身体に抱きつき、冷たい鎧に頬をすりつけた。
「ゲンキンだな、もー」
中身をこぼさないようにトレーを上にあげたアルは、そう呟いたのだった。