5 強さの定義






『アル! ! 二人とも!』


 何の変哲もない、ある日の午後のことだった。


『どうしたのさ、兄さん』

『慌てるとその辺の本の山、また崩すよ?』


 本に埋もれるようにして読みふけっていたとアルが、慌てた様子の兄に不思議そうな視線を向ける。
 エドは、興奮冷めやらぬ上気した顔をしていた。


『これだ! この理論なら完璧だよ!』


 そう言って広げて見せた紙に描かれた、美しい紋様。



 ―――人体練成の練成陣だった。










「私達の理論は完璧だった。理論上では何も間違ってはいなかったのに」

「練成は失敗した。練成の過程で兄さんは左足、姉さんは左腕を。ボクは全身を持っていかれた」


 ロゼは口をきくこともできない。
 呼吸さえ、止まっているのかもしれなかった。
 それほどに、衝撃的な内容。


「間違っていたのは私たちのほうだった。命を創り出すことに何の疑いも持たなかった私たちの」


 それは過ち。
 まっすぐに見つめられて、ロゼは一歩あとずさる。
 の金と銀の瞳が、深い悲しみを湛えていて。


「ボクの意識は一度途切れ、次に目を開けたときには兄さんと姉さんが血みどろで倒れていた。二人は腕や足を失ったままの重症で、今度は僕の魂をこの鎧に定着させたんだ」


 空っぽの鎧が動く理由。
 それは、とエドの二人が命がけで取り戻した、弟の魂が宿っているから。
 二人の血と執念でもってなされた奇跡。


「そのとき払った代価がエドの右腕と私の左足、それにこの左目だった」


 が顔の左側を押さえる。
 顔に冷たさは伝わるのに、触っている左手にはなにも感じない。
 それと同じように、左の瞳を塞いでもなにも変わりはしなかった。


「へっ、三人がかりで一人の人間生き返らせようとしてこのザマだ……」


 自嘲の笑みをもらし、エドがそう呟く。


「ロゼ、人を甦らせるってことはこういうことだ。その覚悟があるのか? あんたには!」


 びくりと肩を震わすロゼ。
 あまりにも残酷な現実を目の当たりにして、どうすればいいのかわからなかった。

 自分はただ、死んだあの人がもう一度笑ってくれたなら。
 一人ぼっちだった私にあの人がくれた、あの暖かさを取り戻せたならと。
 ただそう思っていただけなのに。
 彼らは母親を甦らせようとして、多くのものを失った。


「くくくっ……貴様ら、それで国家錬金術師とは! まったく笑わせてくれる!」


 教主は手すりから身を乗り出してエド達を嘲った。
 それにがピクリと反応する。


「…………うるさい、このハゲチャビン。石を使わないとなんにもできないあんたなんかに、言われる筋合いなんてこれっぽっちもないわよ」

「ハ、ハゲチャ…………」


 の言葉に大きなショックを受ける教主。
 どうやら本格的に苛立ってきたらしい。
 吐き捨てるように言ったの瞳が、剣呑な光を宿していることにエドとアルが気づく。

 これは早々にかたをつけなくては、とんでもないことになりそうだ。
 そう考えた、兄妹の中で最も平和主義者なのではないかという疑惑が浮上中のアルフォンスが、階上の教主を見上げた。


「教主さん、もう一度言う。痛い目見ないうちに、石をボクらに渡してほしい」


 ―――でないと本当に姉さんがキレるよ。

 心の中で付け足したアルの慈悲深い忠告はしかし、教主に届くことはなかった。
 口に出していないのだから当然である。

 ハゲチャビンことコーネロ教主は、持っていた杖に賢者を石をつけた手をかざす。
 とたんに起こる練成反応。
 質量など目に見えて増えていた。
 ただの細い杖が、レトリングガンにその姿を変えたのだ。


「くく。神に近づきすぎ地に堕とされた愚か者どもめ。ならばこの私が今度こそしっかりと―――神の元へ送りとどけてやろう!!」


 耳をつんざく銃声と、それにも負けない教主の馬鹿笑いが、この広い部屋中を占拠した。
 舞い上がる煙に、ロゼは咄嗟に顔を庇う。
 その時。


「いや、オレって神様に嫌われてるだろうからさ」


 視界を塞ぐ煙の合間から、エドの明るい声が響く。


「追い返されるよね、間違いなく」

「おう………って、おまえが言うな!」


 の声も聞こえてきて。
 ロゼは恐る恐るそちらの方へ顔を向けた。

 そこには、自身の前に分厚い石壁を練成したエドと
 姿は見えないが、あの声を聞く限り怪我をしている様子はなかった。

 教主は忌々しげに舌を打つ。
 その一瞬を狙っていたかのように、突然黒く巨大な影がロゼの視界を遮った。
 それはあっという間にロゼを抱え上げて。


「あだだだだだ」

「キャーッ!!」


 背に銃弾を受けながらも、兄たちの方へと駆け出すアルフォンス。


「アル、いったん出るぞ!」

「バカめ! 出口はこっちで操作せねば、開かぬようになっておる!」


 この部屋に入ってきた時に使った扉へ向かう三人を見て、教主はしてやったりと叫んだ、が。
 先に撤退をはじめていたが、壁の前まで来てパンッと両の手を打ち合わせた。
 そして壁に手をつける。
 とたんに起こる練成反応。


「んなぁあ―――っ!?」


 青いプラズマをはじけさせて、そこに扉が出現した。


「出口がないなら作ればよし!」


 叫んだが扉を派手にぶちあける。
 呆気に取られたのは外にいた信者たちだった。

 たまたま通りかかったところに突然現れた扉。
 ついさっきまで壁だったそこに、それは唐突に出現して。
 あまつさえそこから三つの影が走り出てきた上に、教主まで顔をのぞかせたものだから。
 自身の精神衛生上のため、幻覚だと思い込むには手遅れだった。


「なにをしておる! 追え!」


 教主の腹黒さはすでに知っていたけれど、これほど取り乱した姿を見るのは初めてで。
 皆混乱していた。
 しかし、教主の異教徒だという言葉に考えることをやめる。
 逃げ出した三人の異教徒を捕縛するために、手に手に棒をもって行動を開始した。


 ―――数分後。


 教会中を支配したのは、信者たちの阿鼻叫喚だった。









           *









 この街には、決められた時間に鐘がなる。
 朝と夕方と。
 けれどこの日、夕方の鐘がなることはついぞなかった。






「さっきの話だけど、まだ信じられない。そうまでしないと練成できないなんて………」


 街中にその音を響かせる巨大な鐘を軽々と肩に担ぎ上げて戻ってきたアルに、ロゼは呟くように言った。
 もう、今までのような妄信的な信仰心は存在しない。
 それでもまだ、愛しい人を甦らせることができるかもしれないという希望だけは、捨てきることができないでいた。

 そんなロゼに、アルは言い含める。


「言ったろ。錬金術の基本は等価交換って」


 重い鐘を足元に下ろし、何かを探すようにきょろきょろとあたりを見回す。


「なにかを得ようとするなら、それなりの代価を払わなければいけない。兄さんも姉さんも天才だとか奇跡だとか言われてるけど、努力という代価を払ったからこそ今の二人があるんだ」


 アルは取り出したチョークを、淀みない速さで動かしてゆく。
 鐘を中心として展開される白の紋様。
 ロゼにはそれが何の練成陣なのか、わからなかった。


「でも、そこまでの犠牲を払ったからにはお母さんはちゃんと………」

「……………」


 アルの動きが止まる。
 まるで、その場の空気が凍りついてしまったかのように。


「…………人の形をしていなかった」

「………!」


 アルの言葉は、夕日に照らされオレンジ一色に染まったその場にぴったりの、静かな落ち着いた声だった。
 一度途切れて、再び戻った時に見たあの光景を思い出す。

 あたり一面に飛び散る、兄と姉の血。
 抱きかかえた二人の身体は、見るも無残に欠けてしまっていて。
 の左目からは、血の涙が流れていた。
 そして、三人で手分けして描いた練成陣の中にあった、それ。


「人体練成はあきらめたけど、それでも兄さんと姉さんは、ボクの身体だけでも元に戻そうとしてくれてる。ボクだって、二人を元に戻してあげたい」


 アルは再び手を動かし始めた。
 止まる前と同様、淀みなく練成陣を描いてゆく。


「でも、そのリスクが大きいのはさっき話した通り………。報いを受け命を落とすかもしれない。ボクたちが選んだのは、そういう業の道だ」


 最後の文字を書き込み、アルは立ち上がってロゼを見た。
 ないはずの瞳と、視線が絡まりあう。


「だからロゼ、君はこっちに来ちゃいけない」

「………………」


 アルの言葉は、決して軽いものではなく。
 そして間違いなく、自分を案じてくれているもので。
 それは、わかったのだけれど。


「………ア〜ル〜!」

「あ、姉さんだ」


 先ほどまでの真剣な空気を一変させる間延びした声が、二人の間に響いてきた。
 それにアルが首をめぐらせる。


「お帰り、姉さん」


 建物の中から現れたが、両手に何かを抱えてこちらに歩いてくる。その後ろには、なにやらずるずる引きずっているようだ。


「ただいま。いやー、ラジオはすぐに見つかったんだけど、ここまで届く線がなかなかなくってね」


 仕方ないから他ラジオの線ひっこ抜いて練成しちゃった。と朗らかに笑う
 事実、が作業を行った部屋には、生命線ともいえるコードを無残にも切断された無数のラジオが、はかなくも散乱していた。
 アルはから受け取ったラジオの裏を見る。


「あとはこの端末の型を確認して……と。よし」


 アルは仕上げとばかりに一つの文字を書き足すと、練成陣の上に手をかざした。


「なにをするつもりなの?」


 一人状況を把握しきれていないロゼが、訝しげに首をかしげる。
 はそれに満面の笑みを浮かべて。


「ん? 楽しいこと♪」


 口元に人差し指を当てた。
 練成を行うアルは。


(こういうのを楽しいって言えるあたり、やっぱり双子なんだよなぁ)


 と、あらためて兄と姉の血のつながりを確認していた。
 のほうが、エドより断然大人なのだけれど。
 やはり、エルリック兄妹の中で一番温厚なのは、末っ子のアルフォンスだろう。

 練成によって姿を変えた教会の鐘に、アルがの持ってきたラジオの線を接続した。
 これで準備万端。
 あとは、エドワードが上手くやることを祈るばかりだ。







           *







『―――もー、全部だだもれ♡』


 エドの喜色満面な声が街中に響き渡る時。
 太陽神レトの御子、コーネロ教主に心酔していたこの街の人々は、皆一様に目を点にして。
 ラジオに、教会に、虚空に、視線をさまよわせたのだった。








「ハンパもの?」

「ああ、とんだムダ足だ」

「ほんとに壊れちゃったの?」


 コーネロ教主との最後の顛末をエドに聞かされ、とアルはため息をついた。
 完全な物質であるはずの賢者の石が壊れた。
 それはすなわち、まがい物であるということ。
 エドは大きく息を吐き出す。


「今度こそ、おまえらの身体を元に戻せるかと思ったのにな………」

「ボクより二人のほうが先だろ。機械鎧は色々大変なんだからさぁ」

「アルだっていつまでもその格好じゃ困るでしょ? 大きいし目立つし、なによりご飯も食べられないじゃない」


 エドが最後に練成したレト神の巨大像のせいで、大きく歪んでしまった教会の建物の凹凸に腰掛け、三人はがっくりとうなだれていた。
 今度こそはと思っていただけに、ショックは大きい。


「しょうがない、また次さがすか」


 いつまでもこんなところで落ち込んでいるわけにもいかないので、エド達は重い腰をあげて身体についたほこりを軽く払った。
 空振りなのはいつものこと。
 今回がダメならば、また新しい情報を求めて旅を続けるだけだ。

 三人が歩き出そうとした時。


「そんな………」


 ロゼの、か細い呟きがエドたちの耳に届いた。


「そんな、うそよ………だって……、生き返るって言ったもの」


 呆然と、座り込んだまま訴えるロゼをエドは見やる。


「あきらめな、ロゼ。元から―――」

「なんて事してくれたのよ………」


 ロゼの口から漏れてきた言葉は、わずかに震えていた。
 がロゼへ近づいてゆく。


「これからあたしは! 何にすがって生きていけばいいのよっ! 教えてよ! ねえ!!」


 正面に立ったの両腕をつかんで、ロゼは叫んだ。
 とめどなくあふれる涙。

 は自分にすがり付いて泣くロゼを、静かに見下ろしていた。
 肩に手をかけて慰めるでもなく、腕を振り払うでもなく、ただ立ち尽くしたまま。


「―――人にすがる前に、自分の足で立てなきゃ生きていけないよ? 座り込んで待ってるだけじゃ、そのまま腐って動けなくなる」


 涙を溜めた瞳を見開いて顔をあげれば、まっすぐにこちらを見つめてくる金と銀の瞳。
 その片方は何も見えていないのだということが、信じられなかった。
 は微笑むことはなく、ただ淡々と言葉をつむぐ。


「あなたは何度裏切られても、信じ続けられる強さがあったじゃない。自分で力を持っているのに、どうして人にすがろうとするの?」


 ふっ、と。
 ロゼの全身から力が抜けた。
 の腕をつかんでいた腕は両脇に落ち、力なくうなだれる。


「―――立って歩け。前へ進め。あんたには、立派な足がついてるじゃないか」


 ロゼがを開放したのを見たエドが、立ち去りながらそう言った。
 もロゼの脇をすり抜けて後に続く。



 残されたロゼに、沈みかけの太陽が惜しみない光を注いでいた。





2005/02/10 up




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