4 仮面の下の






 ギッ―――………



「へっ、いらっしゃいだとよ」


 触れてもいないのに開いた扉が、不気味に三人を招いていた。

 それにエドは不敵に笑って、真っ先に足を踏み入れる。
 その後ろに、アルと続いた。

 薄暗い室内。
 ほのかに明かりは灯っていたけれど、外と比べるとその暗明の差は否めない。


「わっ―――!」


 前を歩いていたエドは、声と同時にぶつかってきた背中の衝撃に、二、三歩たたらを踏んだ。


「―――っと! 大丈夫か、


 その正体は、声とその場の状況からすでに察しはついていて。
 別段驚くことも無く、背中に縋りついているを支えてやる。


「ごめ……。足元見えなかった………」


 はまだ驚いているような声音で呟く。
 敷石のわずかな凹凸につまづいてしまったのだ。
 いくら外と比べて室内が暗いとはいっても、漆黒の闇が広がっているわけではない。
 何も無い場所でつまづくようなことは無いはずなのだが………。

 は無意識に左目を押さえる。
 金色の右目とは明らかに違う、白銀に光るその瞳。


「大丈夫? 姉さん」

「だからは外で待ってろって言っただろ」


 エドが呆れたように言うと、は首を横に振って。


「イヤ」


 と一言、きっぱりと言った。
 こうなると、誰にもを言いくるめる事などできはしない。
 実力行使に出たりすると、かえってなにを仕出かすかわかったものではないのだ。
 それならば大人しく自分の傍にいさせたほうが安全かと、エドはため息をつくのである。

 と、その時。

 エド達がついさっきくぐったこの部屋の扉が、なんの気配もないままに、音高く閉ざされた。
 そこから差し込んでいた光が完全に遮られ、室内は本格的に陰湿な薄暗い様相を呈した。


「………感じ悪ーい」


 ぼそりと呟く
 もうエドの腕は借りておらず、しっかりと自分の足で立っていた。


「神聖なる我が教会へようこそ」


 その声はエド達の前方。部屋の奥から響いてきた。
 三人はおもむろに視線を移動させる。


「教義を受けに来たのかね? ん?」


 そこには、ついさっき大勢の観衆の前で神の御業とやらを披露して見せた、恰幅の良い老人。
 一見、好々爺に見えるその面の裏側に、いったいどれほどのものを隠しているのやら。
 エドは、杖を手に現れたその老人を疑惑いっぱいの目で見やり、そして片方の口角だけをニヒルに上げて見せた。


「ああ、ぜひとも教えてほしいもんだ。せこい錬金術で信者をだます方法とかね!」


 余裕綽々、堂々と喧嘩を売りつけるエド。
 しかし、教主はあくまで穏やかな対応を崩さなかった。


「………さて、なんの事やら。私の『奇跡の業』を、錬金術と一緒にされては困るね」


 まるでさも人格者であるかのように、その笑みも絶えることはない。
 きっとロゼなどがこの場にいたのなら、また先ほどまでの出来事はなにかの間違いだったのだと言い出すことだろう。
 しかし真相をある程度察している達には、それも胡散臭さ全開の、まがい物にしか見えなかった。


「一度見てもらえばわかるが…………」

「見せてもらいましたよ」


 続けようとした教主の言葉を、が静かに遮った。
 大胆不敵なエドの態度とは違い、まっすぐに教主を見据えている。


「法則もなにもまったく無視した、傍若無人な練成をね」


 言葉の端にあざけるような色がわずかに浮かんだのは、やはり双子というべきだろうか。
 笑みは浮かべていないまでも、教主を見るその目はエドと同じだった。


「だから、錬金術ではないと………」

「そこで思ったんだけど」


 なおも口を開き主張しようとする教主を遮り、エドは最高に不敵な笑みを浮かべた。
 自分よりも高い位置にいる教主を、尊大に見上げて。


「 ”賢者の石” 使ってんだろ」

「……………」


 エドの言葉に、はげ上がった頭を掻いていた教主の指が、ピクリと反応した。


「たとえば、その指輪がそうだったりしてね?」


 の指摘に、またもや指がピクリ。


「……………………」


 エルリック兄妹と教主との間に、重たい沈黙が落ちる。
 この薄暗い空間にふさわしく、ひどく陰気な空気だった。

 無言の攻防。

 先に身じろぎしたのは教主の方だった。


「ふ………さすがは国家錬金術師。すべてお見通しという訳か」


 決して消えることのなかった、好々爺のような笑みが消えうせる。


「ご名答! 伝説の中だけの代物とさえいわれる、幻の術法増幅器……………。我々錬金術師がこれを使えば、わずかな代価で莫大な練成を行える!」


 教主はなにを思っているのか、いっそ風格さえ漂わせる口調で、左手にはめられた赤い石の指輪をエド達に示した。


「………………さがしたぜェ!!」


 それを見たエドが剣呑な光を瞳にたたえ、食いしばった歯の間から呻くように呟く。
 読みは外れていなかった。
 教主の持つ赤い宝石。

 あれこそが、求めてやまなかった賢者の石!

 の目も、一瞬それに吸い寄せられる。


「ふん! なんだそのもの欲しそうな目は!? この石を使ってなにを望む? 金か? 栄誉か?」


 それを見た教主は、エド達を見下して鼻で笑った。
 顔には笑みが浮かんでいるけれど、それは先ほどまでのものとは似ても似つかない。


「あなたこそ、ペテンで教祖におさまってなにを望むの。お金なら、その石でいくらでも練成できるはずよ」


 がそう言えば、教主はあざけるような笑みを深くして。


「金ではないのだよ、お嬢さん。いや、金は欲しいが、それは黙っていても私のフトコロに入って来る。信者の寄付という形でな」


 語る教主は、もはや教主ではなかった。
 人々の信頼を集める、救いを与えるお偉い教主様の仮面を脱ぎ捨て、完全に野心に燃える悪役どさんぴんに成り下がっている。
 教主はなおも続けた。


「むしろ、私のためなら喜んで命を捨てようという、柔順な信者こそが必要だ。すばらしいぞぉ! 死をも恐れぬ、最強の軍団だ!」


 そこまで聞いて、の眉間に深い皺が刻まれた。
 醜悪な笑い声が、石造りの部屋に反響する。
 この国を切り取りにかかると豪語する教主の、耳障りな笑い声が。


「いや、そんな事はどーでもいい」

「どうっ!?」


 それをとめたのは、エドの一言だった。
 壮大な………と言っても良い範囲であろう教主の思惑を、なんとも投げやりに斬って捨てる。


「我が野望を、どーでもいいの一言で片付けるなあっ!! きさま国側の………軍の人間だろがっ!!」


 教主は青い血管の山脈を築きつつ、声を大にして叫ぶ。
 この時ばかりは、彼の言い分が正しいように思えた。
 しかし、そのことを把握している人間はここにはいない。


「いやー、ぶっちゃけて言うとさ、国とか軍とか知ったこっちゃーないんだよね、オレ」


 むしろエドの言葉にがこくこく頷いたせいで、そちらの方が正論な様な気さえしてしまう。
 エドはぴしりと教主に指を突きつけた。


「単刀直入に言う! 賢者の石をよこしな!」

「そうすれば街の人たちには、あなたのペテンのことは黙っておいてあげる」


 とエドが突きつけた条件に、しかし教主はまったく怯むことはなかった。
 むしろ興奮しきった勢いでエドたちに唾を吐く。


「はっ! この私に交換条件とは………。きさまらの様なよそ者の話など、信者どもが信じるものか!」


 教主は狂ったように笑い出す。
 善人な教主の仮面で巧妙に隠してきた、醜悪な己をさらけ出して。
 信者である街の人々を、己の僕と吐き捨てた。
 すっかり自分に浸りきっている教主は、この時エドとがわずかに口角をあげたことになど気づかない。


「そうさ! 信者どもはこの私に、騙されきっておるのだからなあっ!」


 うはははと、悪役には必須アイテムの哄笑を高らかにあげた教主に、エドはぺふぺふと両の手を打ち合わせた。
 嫌味な笑みを浮かべて。


「いやー、さすが教主様! いい話聴かせてもらったわ」


 これっぽっちもそんな事は思っていないだろう口ぶりのエド。


「確かに信者は俺たちの言葉にゃ、耳もかさないだろう………。けど!」


 ガチャリと、金属の留め具が外れる音がする。
 先ほどまで一言の口も聞かず、ただ兄と姉のすることを見守っていたアルが、己の胴体部分の鎧を取り外したのだ。
 そこから現れたのは…………。


「彼女の言葉にはどうだろうね」

「―――ロゼ!? いったい何がどういう…………」


 真実を見たロゼが、ショックと驚きに目を見開いていた。
 教主もまた、他人の鎧の中などというありえない場所から現れたロゼに驚愕する。


「教主様っ! 今おっしゃった事は本当ですか!?」


 信じたい気持ちと、信じられない気持ちが入り混じり、ロゼには教主しか見えていなかった。
 必死に叫びながら、アルの鎧からあわてて出てくる。


「私たちを騙していらっしゃったのですか!? 奇跡の業は………神の力は、私の願いをかなえてはくれないのですか!?」


 自身の足で立ち、涙を浮かべてロゼは悲痛に叫んだ。


「あの人を、甦らせてはくれないのですかっ!?」


 それは、部屋中に木霊して。
 はその姿に、わずかに眉をひそめる。
 信じるものを失うということは、どれほどつらいことだろう。


「………………ふ」


 しかし、思わぬロゼの出現に一度は怯んだ教主だったが、何事か思案をめぐらせたのか、再びその口を弧に歪めた。
 それは、いつもロゼたち信者が目にする、教主さまの姿ではない。


「確かに、神の代理人というのは嘘だ………だがな、この石があれば今まで数多の錬金術師が挑み失敗してきた生体の練成も………おまえの恋人を甦らせる事も可能かもしれんぞ!!」

「―――!」


 裏切りによる混乱、驚愕、絶望………そして自分たちを裏切ったはずの教主が語る希望に、ロゼの身体は硬くこわばる。


「ロゼ、聞いちゃダメだ!」

「ロゼ、いい子だからこちらにおいで」


 アルの声と、教主が差し伸べる手と。


「行ったら戻れなくなるぞ!」

「さぁ、どうした? おまえはこちら側の人間だ」


 エドの眼差し、教主の指にある赤い宝石。
 あの人を、甦らせてくれる………。


「ロゼさん、ダメだよ」


 の静かな声に、一度は振り向いたけれど。


「おまえの願いをかなえられるのは私だけだ。そうだろう? 最愛の人を思い出せ………さあ!」

「……………っ!」


 足は、ゆっくりと前へ踏み出された。
 エドはため息をつき、は拳を握り締める。


「………三人とも、ごめんなさい」


 ロゼは背を向けたまま呟いた。


「それでも私にはこれしか………これにすがるしかないのよ」


 たとえそれが、神の業ではなかったとしても。
 願いをかなえてくれるなら、なんでも良かった。


「いい子だ………本当に……」


 こちらへ歩いてくるロゼを見て、教主は満足そうに頷いた。
 そしておもむろに、壁にあるレバーに手をかける。


「さて、では我が教団の将来を脅かす異教徒は、すみやかに粛清するとしよう」


 レバーが降りる音が響いたと思うと、部屋の暗闇になっている方からなにやら重々しい音が聞こえてきた。
 なにかが開く気配。


「グ、ルルル…………」


 闇から姿をあらわしたのは、自然界ではありえない形態の動物だった。
 大型の哺乳類、爬虫類、鳥類を掛け合わせた合成獣。


「キメラ…………きもちわる」


 獰猛な牙と爪と、荒い息でもって自分たちに向かってくる異形のそれを見た瞬間、が抱いた感想はそれだった。
 眉根を寄せてそれを見やる。


「キメラを見るのは初めてかね、ん?」


 余裕の笑みで見下してくる教主を、はそのままの視線で睨みつけた。


「きもちわるいのはあなたのことよ、教主サマ。性根の腐った人間は、腐った練成しかできないのね」


 自分だったらもっとましなものを練成する。
 すくなくとも、こんな凶暴な性質しか残さないような、お粗末なことなどしない。


「ふん、自分はおキレイだとでも言うつもりかね。国家錬金術師のお嬢さん? 君も錬金術師ならば、動物の一匹や二匹、実験のために犠牲にしたことがあるはずだ。ましてや君やお兄さんは軍の狗。数々の特権と引き換えにして、大衆のためにあるべき錬金術を売ったのだろう」


 勝ち誇ったように言う教主に、は本気で吐き気を覚えた。
 これほどまでに小物になれるなら、いっそすがすがしいとさえ思う。


「私は自分の能力を正当な代価で売ったの。これは等価交換。もっとも、売れるだけの能力を持たない人にはうらやましい限りだろうけど?」


 教主の嫌味な笑みが、ヒクリと引きつった。
 痛烈な嫌味返しに少なからずダメージを受けたようである。


「うわ、姉さん本気で怒ってる?」


 アルが隣の兄にそっと囁いた。
 しかしエドは首を横に振って。


「いんや、まだ序の口だな、ありゃ。本気で怒ってるならあのおっさん、今ごろとっくに再起不能だって」


 キメラから目を離すことなく言う。

 そのとおり。は怒ってなどいなかった。
 もともと、エドのように軽はずみに怒ったりはしない。
 戯れに怒ったような素振りをすることはあるが、本気で怒ることはめったに無いのだ。
 今はただ純粋に、ムカついているだけである。


「ま、なんにしろこいつとじゃれあうには、丸腰じゃあちとキツそうだな………と」


 エドはそう呟くと、両の手をおもむろに合わせた後、床にぺたりと押し付けた。
 その行動に、教主が訝しげな顔をした瞬間。

 青白いプラズマと、激しい突風がエドを中心に巻き起こる。
 顔を庇いながら何とかそちらを見てみれば、床に手をかざしてゆっくりと立ち上がるエドの姿が。
 その手の下には、パキパキと音を立てて敷石から生えてくる一本の槍。


「うぬ! 練成陣もなしに敷石から武器を練成するとは………! 国家錬金術師の名は伊達ではないという事か!」


 驚きに怯んだ様子の教主。
 エドは練成した槍をキメラへと構えた。
 しかし教主はまたすぐに復活する。


「だが、甘い!」


 嬉々として叫んだその声を合図とするかのように、今まで睨みあっていたキメラが、その凶悪な爪をひらめかせる。


「ぐっ………!」


 槍と共に引き裂かれるエドの左足。


「エドワード!!」


 ロゼの悲痛な叫びがその場に木霊する。
 きっと、ひどい傷に違いない。
 あんなにも凶暴な動物の爪なのだから。
 ロゼがそんなことを考えようとした瞬間。


「………なんちって!」


 槍とエドの足を切り裂いたキメラの爪が、根元から音を立ててへし折れた。
 間髪おかずに、エドの蹴りがキメラの腹部に叩き込まれる。


「あいにくと、特別製でね」


 キメラの攻撃に無残に切り裂かれたズボンからのぞくのは、鈍い光を放つ鋼色の肌。
 服の惨状とは裏腹に、傷口も血液のようなものさえそこには無かった。


「………ッ!? どうした! 爪が立たぬなら、噛み殺せ!!」


 教主は叫ぶ。
 闘争本能しか残されていないキメラは、それに従うしかなかった。
 おそろしい咆哮をあげながら、エドへと向かう。
 しかし。


「―――どうしたネコ野郎。しっかり味わえよ」


 エドが自ら差し出した右腕を、しっかりとくわえているはずなのに。
 それはちぎれることもなく、血さえ流れてはいない。
 キメラの奥底にわずかに残っていた本能が恐怖を知らせていた。
 しかし。


「ギャウッ…………!」


 本能に従い身をひく前に、キメラの身体は一陣の風によって真っ二つに切り裂かれ、血を撒き散らす。
 床に落ちた死体の向こうにいるのは、切り裂いた本人その人。


、だからおまえは大人しくしてろって」

「イヤ」


 呆れたようなエドの言葉にきっぱりと言い切ったは、すっくと立ち上がった。
 エドと同じ白い手袋をはめていた左手は、今は剥き出しで。
 そこにあるのは袖口から直接のびた、鋼色の鋭利な刃物。


「ロゼさん、よく見ておいて」


 あまりのことに言葉を失うロゼを振り返り、は告げる。
 エドは布切れも同然となった右の袖を、煩わしげに破り捨てた。


「これが、人体練成………神様とやらの領域を侵した、咎人の姿だ!」


 そこに曝されたのは、鋼の腕。
 強く告げたエドの言葉に答えるかのように、鈍く光っている。
 の左腕も、練成によって武器からもとの姿へと戻された。


「…………鋼の義肢…… ” 機械鎧 ” ………。ああ、そうか……」


 教主はぎりりと歯を鳴らし、忌々しげにエドを見る。


「鋼の錬金術師っ!!」


 エドは階上の教主に向かい、鋼の腕で手招いた。


「降りてこいよ、ド三流。格の違いってやつを見せつけてやる!」





2005/02/10 up




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