3 見るべきもの
降りしきる花々に、人々が熱狂的な歓声をあげる。
「教主様! 神の御業を!」
「コーネロ教主様!」
壇上にある恰幅のよい老人はそれに答え、降ってきた花のひとつを手にする。
そしてそれをおもむろに両手で包み込んだ。
とたん、手の中から漏れ出す青白い光。
次に教主が観衆に向けて開いた手の中を見て、人々は盛大な感嘆と賞賛の声をいっそう大きくした。
教主の手にあるのは、あたりを舞っている小さなかわいらしい花ではなく、少々不恰好な、大きなひまわりと思しき花。
「………どう思う?」
人だかりの後ろの方で、トランクの上に乗りはるか前方をなんとか見ていたエドは、隣のでっかい鎧の方へ言葉を投げた。
「どうもこうも、あの変成反応は錬金術でしょ」
「だよなぁ…………」
返ってきた弟の言葉にエドは頷くけれど、どこか釈然としない。
「でもあれって、法則が………」
でっかい鎧の弟に抱き上げてもらって事の一部始終を見ていたも、兄と同じように釈然としない面持ちで首をひねった。
エルリック兄妹は目下のところ、神の御業を使うというコーネロ教主とやらの観察に励んでいる。
アルは図体がでっかいため苦労しないが、エドとはそれぞれ手法をめぐらせて人垣から顔を出さねばならなかった。
もっとも、に関しては兄と弟により有無を言わさず、アルの上へ担ぎ上げられたのだが。
「そうなんだよ。あれじゃあ…………」
「お三人とも、来てらしたのですね」
エドが見解を述べようとしたとき、不意に聞こえてきた覚えのある声に、三人は言葉を切って首をめぐらせた。
人垣の間から、ピンクの髪をなびかせた少女が近寄ってくる。
「どうです! まさに奇跡の力でしょう。コーネロ様は太陽神の御子です!」
そう言うロゼの顔は、とてもうれしそうに輝いていた。
しかし、エドはあごに手を当てて言う。
「いや、ありゃーどう見ても錬金術だよ。コーネロってのはペテン野郎だ」
と、歯に衣着せぬエドの言葉は、またしても確実にロゼの神経を逆なでした。
むっとした表情でエドを睨むロゼだったが。
「でも、法則無視してんだよねぇ」
「うーん、それだよな」
というエドとアルの言葉に、疑問符を浮かべる。
「法則?」
「そう、法則」
アルに抱えられていたが身軽にそこから飛び降りると、少し乱れた服を直してロゼに語る。
「一般の人たちから見たら錬金術って、なんでも無制限に出せる便利な術に見えるでしょう?」
「え、ええ。そうね。違うの?」
ロゼは自分よりも少し幼く見えるこの少女が錬金術師であることに、わずかながら違和感を覚えていた。
まだ年端もいかない、それも女の子が、あの小難しく捻くれたと評判の錬金術を修めているなんて、少し信じられない。
「錬金術にもね、実際にはきちんとした法則があるんだよ」
「大雑把に言うと質量保存の法則、自然摂理の法則かな。術師の中には四大元素や三原質を引き合いに出す人もいるんだけど……………」
「???」
この時点でロゼの脳は、完全に追いつけていなかった。
いったいとアルが何を言っているのか、これっぽちもわからない。
「結局、錬金術にも理論上にしろ実験過程にしろ、それらの法則による科学的制約と数値上の臨界点が―――」
「姉さん、姉さん」
喋っているうちに自分の世界へ入り込みかけていたところを、アルに呼ばれて戻ってきた。
戻ってきて見てみれば、説明していたはずのロゼはすっかり理解不能に陥っていて。
小難しい科学用語に、頭を抱えてしまっている。
「えーとね、質量が一の物からは同じく一の物しか。水の性質の物からは同じく水属性の物しか練成できないってこと」
の説明を噛み砕いて、アルがわかりやすく説明しなおした。
それを聞いて、ようやく少しわかったような顔をするロゼ。
「つまり、錬金術の基本は『等価交換』! 何かを得ようとするなら、それと同等の代価が必要ってことだ。その法則を無視して、あのおっさんは練成しちまってるってことだ」
「そんなこと、普通はありえないのにね」
「だからいいかげん、奇跡の業を信じたらどうですか、三人とも!」
未だに疑惑的な目でコーネロ教主の方を見ている三人に、ロゼは痺れを切らしてそう叫んだ。
しかし、三人の耳にその言葉は入ってこない。
「兄さん、姉さん、ひょっとして………」
「うん、ひょっとすると………」
コーネロ教主の指にあるひとつの指輪が、きらりと太陽光を反射させた。それにはわずかに目を細めて。
弟妹たちの呟きを受けたエドは、にやりと口角を上げる。
「ビンゴだぜ!」
と言うや否や、くるりと身体を反転させて。
「おねぇさん、ボク、この宗教に興味持っちゃったなぁ! ぜひ教主様とお話したいんだけど、案内してくれるぅ?」
ロゼに対し、うそ臭いまでの朗らかさで手をあげた。
「まあ! やっと信じてくれたのですね!」
ロゼはその急変になんの疑問も抱くことなくそれに答える。
案内してくれるロゼの後ろをついていきながら、兄の行動を見ていた弟妹はこそこそと、しかしエドには聞こえる大きさで耳打ちしあった。
「聞いた? 姉さん。兄さんがボクとか言ってるよ」
「ね。珍しいもん見たね」
「絶対あくどいこと考えてるよ」
「絶対ね。エドだもん」
「兄さんだもんね」
「その点アルは善人ね」
「ボクは姉さんを見て育ったから」
「エドは反面教師?」
「そうだね」
「そうね」
「…………………おまえら」
こそこそひそひそ囁かれる言葉に、エドはピキリと額の血管を浮き立たせ。
「だからちょっとは兄を尊敬しやがれ―――ッ!!」
またしても出所のわからない諸々を、怒りのハリケーンに乗せて巻き上げたのだった。
*
「さあ、どうぞこちらへ」
黒い僧服に身を包んだ男に促され、エルリック兄妹とロゼは教会の中にある一室に通された。
ロゼが師兄と呼ぶ男は、ニコニコと愛想の良い笑みを浮かべている。
「教主様は忙しい身でなかなか時間が取れないのですが、あなた方は運がいい」
そう言いながら歩く後ろで、この部屋の扉がほかの信者たちによって音高く閉ざされた。
ロゼはそれを何気なしに見ている。
「悪いね。なるべく長話しないようにするからさ」
「そうね。教主様もお忙しいなか、私たちのためにわざわざ時間をさいてくださったんだもの。ご迷惑をかけないようにしないとね」
エドの言葉に、がにっこりと相槌を打つ。
それを見たアルはひっそりと心の中で、
(姉さん、猫かぶるのうまいなぁ)
などと感心していた。
その時。
「ええ、すぐに終わらせてしまいましょう………このように!」
「―――!」
アルの左目の部分が突然さえぎられ、次の瞬間にはもう、耳障りな破裂音と金属音が鳴り響いていた。
硝煙をあげて兜が飛び、身体は後ろに倒れこむ。
「―――っ!」
声もあげられないロゼを除き、エドとも控えていた信者たちの手によって取り押さえられた。
「師兄! なにをなさるのですか!」
ロゼが小銃を手にしたままの師兄にむかって叫ぶ。
しかし師兄は何も気にした様子もなく、淡々と告げた。
「ロゼ、この者たちは教主様を陥れようとする異教徒だ。悪なのだよ」
「そんな! だからと言って、こんなことを教主様がお許しになるはずが……………」
なおも向かってくるロゼを一瞥し、師兄はにやりと口元を歪めた。
それはロゼが知る、尊敬すべき師兄の姿ではない。
「教主様がお許しになられたのだ!」
それは、ロゼから言葉を奪うに充分だった。
驚愕と混乱がロゼの顔をゆがませる。
「…………おい、に触るな」
その時、長い棒によって動きを阻まれていたエドが、視界の端に映ったの右腕が信者によって捕られていることに気づき低く言った。
剣呑な目つきで信者を睨みつける。
しかしそれも、抵抗などできるはずのない小僧が苦し紛れに吐く戯言。
エドの言葉は公然と無視された。
「教主様の御言葉は、我らが神の御言葉………これは神の意志だ!!」
ガチャリ、と。
未だ硝煙の臭いが立ち昇る小銃を、師兄がエドワードに突きつけたその瞬間。
「へー」
間の抜けた声と共に伸びてきた厳つい手甲が、がっしりと銃のシリンダーを握り締めた。
「ひどい神もいたもんだ」
「んな…………!」
シリンダーが回らなければ銃は発砲されない。
あまりの驚愕に思わずトリガーにかかる指に力が入ったが、動くことはなかった。
師兄の顔は驚愕に歪められたまま、下から打ち込まれた拳によってさらに歪む。
同じく驚きに目を見開いていた信者たちも、捕らえていたはずの標的により、ある者は投げ飛ばされ、ある者は鳩尾をしたたかに殴られて地に伏した。
「うわわわわわ!! ―――げふっ!」
「ストライク!」
運良く逃げ出した信者の一人を、エドが転がっていた兜を投げつけて地に沈める。
「ボクの頭!」
いまや頭なしの状態になったアルが非難がましく叫んだ。
「エド、アルの頭乱暴に扱っちゃダメだよ」
自分を捕らえていた信者の内、鳩尾をくらって沈んだ男とは違うもう一人の方を裏拳で殴り倒したが、転がってきたアルの頭を拾って二人の下へ歩いてくる。
「大丈夫か?」
傍にくるなり、エドがの顔を覗き込んだ。
左目の上に、先ほどの格闘で乱れた髪が一房落ちかかっている。
「ん。右腕だったし。心配しすぎ」
エドに左側の髪をかきあげられて、は少しくすぐったそうに笑った。
「どどど、どうなって…………!?」
兄妹のスキンシップタイムもそこそこに、今回もやはり蚊帳の外となっていたロゼの声が、無残な姿の室内に響き渡り木霊した。
師兄により、確かに銃で頭を撃ちぬかれたはずなのに。
平気でぴんしゃん動き回り、あまつさえ自分を撃った師兄を殴り飛ばしたでっかい鎧を、ロゼは震える手で指差した。
それを見て、エドは動く鎧をたたいてみせる。
「どうもこうも」
「こういうことで」
「ね」
アルは自身を指差し、は持っていた兜の中身を曝して見せた。
「なっ………中身が、ない……空っぽ………!?」
そこにある何もない空間を、ロゼは驚愕の瞳で見つめる。
あるはずの身体が、頭が、どこにも見当たらなかった。
から受け取った頭を、アルが元通りにはめ込む。
「これはね、人として侵してはならない神の聖域とやらに踏み込んだ罪とかいうやつさ。ボクも、兄さん、姉さんもね」
「エドワードと……も?」
金色の髪を持つ二人の兄妹を、ロゼは複雑な顔で見やった。
二人は何も言わない。
エドはこちらに背を向けて、は視線を伏せていた。
いったい、このまだまだ幼い兄妹に、なにがあるというのだろう。
「ま、その話は置いといて」
深刻な空気が垂れ込めていたその場に、エドワードの軽い口調が新しい風を吹き込む。
ぽりぽりと後頭部を掻きながら、エドは無様に倒れこんでいる師兄たちの姿を見下ろした。
「神様の正体見たり、だな」
「そんな! なにかの間違いよ!」
というロゼの訴えに、怒りの四つ角が三つほど浮かぶ。
「あーもー、このねぇちゃんはここまでされて、まだペテン教主をしんじるかね」
怒りのハリケーンを出すだけの気力もない。
ここまで妄信的になれる理由を聞いてみたいものだとつくづく思う。
「………ロゼさんを見てると、自分がなんだか捻くれて育ったような気分になってくるわ」
かすかな頭痛を訴えるこめかみを揉みながら、がぽつりとそんなことを呟いた。
それにすかさず反応したのが弟アルフォンス。
「そんなことないよ、姉さん。捻くれてるのは兄さんだけだから」
「アル………」
はそっと目じりの涙をぬぐう仕草をし、自分よりも軽く三倍はあるであろう弟の鉄の身体を、ぎゅっと抱きしめた。
そして言う。
「あなたがまっすぐ育ってくれて、姉さんうれしい」
きらきらした場違いな空気がその場を占拠しかける。
しかし、すんでのところでそれは回避された。
「おまえらいいかげんにしろよ、だーれが捻くれてるだと?」
二人の兄、エドワードの登場である。
抱きしめあう弟妹の、弟の方をビシリと指差し。
「はともかくアル! おまえは間違いなくオレの背中を見て育っている! ゆえにオレが捻くれているならおまえも捻くれだ!」
「えー、ボクは姉さんの背中を見て育ったんだってば」
エドの言葉に不満げにアル。
「そして! おまえはオレの双子の片割れ。遺伝子的には誰よりも近い! ということは、オレに捻くれの要素が含まれているなら、おまえにもその可能性は充分にある!」
「捻くれ云々は、遺伝子じゃなくて育ち方の問題じゃない?」
は小首をかしげて言うが、エドは聞いちゃいなかった。
言うだけ言って満足したのか、くるりと振り返ってロゼを見る。
「さて、ロゼ。真実を見る勇気はあるかい?」
エドが告げたその後ろで、とアルがぶーぶーと不満をもらしていたのは言うまでもない。