2 不信者





 
「おおー、立派な教会」


 壮麗な観音開きの扉をくぐるなり目の前に広がった独特の空間に、は感嘆をもらした。
 一般の建築物ではありえない高さの天井を見上げる。


「姉さん、足元見ないと危ないよ」

「転ぶなよ、


 兄と弟に口々にそう言われ、は視線を前へ戻した。
 そのとたん、目に飛び込んでくる絵画と像。


「………これがレト神?」


 祭壇の向こう側にあるところを見ると、人々はこれに向かって祈るのだろう。
 は自分の何倍もある大きさの美術品をまじまじと見つめる。


「祈るだけで願いが叶えば、誰も苦労はしねぇよな」


 漫然と呟いたエドの言葉を、同じようにそれらを見上げていた弟が苦笑してたしなめた。


「兄さん、こういうとこでそういうこと言っちゃダメだよ」


 信者の人に聞かれたら、袋叩きじゃすまないかもしれない。
 そのやり取りには苦笑を浮かべたけれど、すぐに真顔に戻ってぽつりと呟く。


「でも、本当に………祈るだけじゃどうにもならないことって、あるのにね」

「…………」

「…………」


 の言葉に何を思っているのか。
 三人はしばらくの間、無言でレト神の像を見上げ続けた。


「あら、確かさっきの………」

「あ、ロゼさん………でしたよね」


 教会の奥から出てきた少女に声をかけられ、三人はそちらへ視線を移した。
 が微笑んで話し掛ける。


「ええ。お三人とも、レト教に興味がおありで?」


 ロゼは朗らかに答え、レト神の像を見上げていたエドたちに聞いた。
 しかしエドは自嘲的な笑みを浮かべ、首を横に振る。


「いや、あいにくと無宗教でね」

「まぁ。いけませんよ、そんな!」


 エドの言葉にロゼは胸の前で手を組み、祈るように目を閉じた。
 そしてさっきの町の人々のように、熱っぽい口調で語りだす。


「神を信じ敬うことで、日々感謝と希望に生きる………。なんとすばらしいことでしょう!」


 そんなロゼを見ながらは困ったように苦笑を浮かべ、アルも居心地が悪そうにしていた。
 無宗教と答えた当のエドは、ロゼのその様子にため息を落とそうとしたのだが。


「信じればきっと、あなたの身長も伸びます!」

「んだと、コラ」


 力説されて怒りにこぶしを握った。
 今度はアルとが二人がかりでエドをなだめることになる。


「兄さん、悪気はないんだから」

「そうだよ、エド。それに相手は女の子…………」


 それでも治まらない兄の怒りに痺れを切らしたが、とうとう短気な兄の頭のてっぺんに、左手でチョップをお見舞いした。
 ガンッ、と硬質な音があたりに響く。


「もうっ! うるさいエド! いいかげんにしないと殴るよ!」


 頭を抑えてうずくまる兄を見下ろして、は憤然と言い放つ。


「〜〜〜〜、そういうことは殴る前に…………」

「殴られる前に自制しないエドが悪い!」

「けど、おまえ、なにも左手で…………」


 よほど利いたのだろう。
 エドはうずくまったまま必死で痛みに耐えている。
 そんな兄の姿をいささか不憫に思ったやさしい弟は、ぽん、と肩に手をおいてその横にしゃがみこんだ。


「兄さん」

「おお、アル…………」


 思いがけない弟のいたわりに、本気で涙を浮かべるエド。その顔にわずかな光がさしたのだが。


「姉さんに逆らった兄さんが悪いよ」


 それはあっさりと裏切られた。
 そしてやさしげに見えた弟は、兄の頭を容赦なくどつく姉のもとへと去ってゆく。


「姉さん、左手大丈夫? 調子悪くなったりしてない?」

「うん、ぜんぜん平気。アルはやさしいねぇ」


 これ見よがしにイチャつく二人は、間違いなくエドに対するあてつけだった。
 エドは未だ頭をさすったまま、くそ〜、と呟いている。


「あ、あの〜………」

「え? あ、ごめんなさい、ロゼさん」


 エルリック兄妹のどたばた劇に、一人蚊帳の外をくらっていたロゼが、とても控えめに声をかけてきた。
 このままでは本当に忘れられてしまうかもしれないと思ったのかもしれない。
 それには少し頬を染め、いまだ強く祈りの手を握ったままでいるロゼを見て、ふと表情を変えた。


「あの、ロゼさん。ひとつだけ聞いてもいいですか?」

「? ええ、なにかしら」


 少し印象の変わったに首をかしげながらも、ロゼは微笑む。
 その瞳は、どこにも曇ったところなんてなくて。
 信じるものがあるということは、それほどまでに力があるものなのかと考えてしまう。
 純粋と言えば、聞こえはいいけれど…………。

 は、無意識のうちに落ちた声を自覚しながら、ロゼをまっすぐに見た。


「どうして、そんなに強く信じることができるんですか?」

「え?」


 ロゼがぱちぱちと目を瞬く。


「私には、祈るだけで何かが叶うなんてそんなこと、信じられません」


 白い手袋のはめられた左腕を無意識に触る。
 布越しに、固い感触が伝わってきて。
 自分は、純粋にはなれないのだとあらためて思う。
 身体も、心も。


「そんなこと………! 信じなければなにも始まりません。レト神は信じる者にこそ加護と慈悲を与え、願いを叶えてくださるのです」


 ロゼの信仰心は揺らぐことを知らないようだった。
 少しだけ語気を強め、に強く語る。


「………神に祈れば死んだ者も生き返る、かい?」


 訪れた信者たちが座る座席に、少々乱暴に腰掛けたエドがそう呟いた。
 ロゼはそちらに視線を移してはっきりと頷く。


「はい、必ず……!」


 それを聞いたエドはひとつため息をついたあと、おもむろに古びた手帳を取り出しページをめくりだした。


「エド」


 兄のしようとしていることを察したが、たしなめるように名前を呼ぶが、エドワードはかまわずにその内容を読み始める。


「水35リットル、炭素20s、アンモニア4リットル、石灰1,5s――――」

「………は?」


 突然発せられた実験材料のような物の名の羅列は、一般人のロゼにとっては呪文のようにしか聞こえなかった。
 いぶかしげな顔をして、足を組んでいるエドを見やる。


「―――その他少量の15の元素………。大人一人分として計算した場合の、人体の構成成分だ。今の科学ではここまで判っているのに、実際に人体練成に成功した例は報告されてない」


 はあきらめたようにため息をつき、黙ってエドの言葉を聞くことにした。


「足りない何かがなんなのか………。何百年も前から科学者達が研究を重ねてきて、それでも未だに解明できていない。不毛な努力って言われてるけど、ただ祈って待ち続けるよりそっちの方がかなり有意義だと思うけどね」


 ぱたんと手帳を閉じ、エドはそれを懐へ戻す。


「ちなみにこの成分材料な、市場に行けば子供の小遣いでも全部買えちまうぞ。人間てのはお安くできてんのな」

「―――っ人は物じゃありません! 創造主への冒涜です! 天罰がくだりますよっ!!」


 その言葉にエドは、あっはっはと笑い出した。


「エド」


 は再び咎めるように兄の名を呼ぶ。
 たしなめられたエドは、今度は笑いをおさめて不敵に笑って見せた。


「錬金術師ってのは科学者だからな。創造主とか神様とか、あいまいなものは信じちゃいないのさ」


 ロゼの顔に不満の色が浮かぶが、そんなことは気にしない。


「この世のあらゆる物質の創造原理を説き明かし、真理を追い求める………。神様を信じない俺たち科学者が、ある意味神に一番近い所にいるってのは皮肉なもんだ」


 自嘲気味なエドの口調は、かえってロゼの神経を逆なでしてしまったらしい。
 きつくエドを見据え、ロゼは低く言う。


「高慢ですね。ご自分が、神と同列とでも?」


 レト神の像を見上げていた顔を下ろし、エドはふと思いついたように口を開いた。


「―――そういや、どっかの神話にあったっけな。『カミサマに近づきすぎた英雄は………』」

「『蝋で固めた翼をもがれ、地に堕とされる…………』」


 エドの言葉をさらって、が続きを呟いた。
 表情など見えないはずのアルもまた、どこか神妙な様子をしていて。


「…………?」


 ロゼは三人の様子に、首を傾げるばかりだった。





2005/02/10 up




Return