11 求める手段






 トレインジャックの一件を解決した張本人として、大佐らと共に東方司令部のほうへ足を運んだエルリック兄妹は、大佐の執務室に通されて重厚な一人がけの椅子にそれぞれ腰を落ち着けていた。
 大佐を前にエドワードが偉そうな態度で足を組む。


「今回の件でひとつ貸しができたね、大佐」


 にやりと笑って。
 はからずも大佐の手伝いをする形になってしまったのは甚だ不本意だったが、それならそれで、この機会を大いに利用してやろうとの魂胆らしい。
 アルが言うところの悪の顔をして、エドはニヤニヤと大佐を見やる。


「………君に借りをつくるのは気色悪い。いいだろう、なにが望みだね」


 大佐は笑顔を若干引きつらせてそう言うと、溜め息をついた。


「さっすが、話が早いね」

「すいません、大佐。助かります」


 はエドの態度に苦笑して、ロイに向かって頭を下げる。
 それを見たロイはにっこりと微笑んで。


「気にすることはないよ、白銀の。むしろ君ならば、私も協力は惜しまないがね」


 などと言うものだから、またしてもエドの眉間に皺がよった。
 それを見てが顔を引きつらせる。


「…………大佐、エドをからかうのやめてもらえませんか」


 兄の機嫌を損ねて後々困るのは自分やアルなんで。
 そんな呟きが口の中から出ることはなかったが、ロイにはその言わんとしている事が伝わっているはずだ。
 その証拠に、彼が浮かべる笑みはどこか楽しげで。


「おや、私は純粋に言っているのだがね、白銀の」


 本気で楽しそうな上官に、は深い溜め息を落とした。
 これが純粋にエドをからかうためだけの物ならば無下にあしらうこともできるのに、その八割方が本気なのだとわかっているからそうもいかない。
 やはり今回もいつものように、は乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。


「それで? 私にして欲しいこととは何だね?」


 エドが怒り出す前に話を元に戻したロイが、エドに向かってそうたずねる。
 じりじりと怒りのバロメーターをあげていたエドは、問われてふと我にかえった。


「この近辺で生体練成に詳しい図書館か、錬金術師を紹介してくれないかな」


 自分たちでシラミつぶしに探すより、国家錬金術師の権限やらコネやらを利用した方が断然効率がいい。
 ましてやロイならば、大佐という地位も手伝って、より有力な情報を管理しているはずだ。
 エドはそこに目をつけたのである。
 ロイはそれを聞くとおもむろに立ち上がって、執務室にある書棚のひとつに足を向けた。


「それはかまわないが、今すぐかい? せっかちだな、まったく」

「オレたちは一日も早く元に戻りたいの!」


 大佐ののんきな物言いに、エドが怒りの四つ角を浮かべる。


「久しぶりに会ったんだから、お茶の一杯くらいゆっくり付き合いたまえよ」


 大佐は書棚の中から一冊のファイルを取り出した。
 それをぱらぱらとめくる。


「………野郎と茶ぁ飲んで、なにが楽しいんだよ」

「私は白銀のがいるから十分に楽しいがね………ああ、これだ」


 エドの呻きなどこれっぽっちも気にせずに、大佐は一枚の書類を抜き取るとそれを読み上げた。


「―――『綴命の錬金術師』ショウ・タッカー」








           *








 軍の車に乗せてもらって大佐に連れてこられたのは、市内にある大きな一軒の家だった。
 二年前、人語を話す合成獣を練成して国家資格を取ったという、ショウ・タッカー氏の家だ。
 しかし、その人語を喋ったという合成獣はもういない。
 査定の時、ただ一言「死にたい」と口にして、それきり餌も食べずに死んだのだという。


「合成獣の練成………生き物を練成してるわけだから、生体の練成にもつながるんだろうけど」


 車から降りたがふとそんなことを呟いた。
 それを、アルが不思議そうに見やる。


「なにか気になることでもあるの?」

「ん」


 あごに手をやって少しうつむく。
 そうやってしばらく黙考した後、は首を横にふった。


「ううん、ただちょっと引っかかっただけだから。人語を使う合成獣っていうのに…………」


 とはいえ、ここで悩んだところで仕方がない。
 自分は合成獣研究をしているわけではないのだし、ここにはあくまで生体練成の手がかりを得にきたのだ。
 とにかく今は、そちらの方に集中しよう。
 そうが顔をあげたとき。


「ぎゃああああああああ!」


 この世のものとは思えないほどの絶叫がその場に轟いた。


「エド!?」


 はあわてて倒れているエドに駆け寄る。
 しかし、助け起こすことはかなわなかった。

 なぜなら…………


「こら、だめだよアレキサンダー」

「わぁ、お客様いっぱいだね、お父さん」

「ニーナ、だめだよ。犬はつないでおかなくちゃ」


 耳のたれた大型犬が、エドを下敷きにしてとてもごきげんそうな顔をしていたから。














「あらためて初めまして、エドワード君に君。綴命の錬金術師ショウ・タッカーです」


 糸目で眼鏡だなと、は思った。
 少し風采の上がらないそのいでたち。奥さんにも逃げられて、あまりぱっとしない人だが、それでも娘のニーナに向ける笑顔はとても優しげで素敵だと感じる。

 しかし、ロイからたちの紹介を受けたタッカー氏はすぐに、柔和な父親の表情から、冷静な研究者のそれへと雰囲気を変えた。
 白く反射する眼鏡の向こうから、観察するような視線でこちらを見てくる。


「人の手の内を見たいと言うなら、君らの手の内も明かしてもらわないとね。それが錬金術師というものだろう。なぜ、生体の練成に興味を?」


 笑みを消したタッカーに問われ、エドは一瞬言葉に詰まった。
 も眉根を寄せて視線をそらす。

 人体練成のことをこれまで人に話したことはない。
 知っているのは、大佐とその副官のホークアイ中尉。そして故郷にいる幼馴染みとその家族だけだ。
 上に知られれば、おそらく厳罰に処されるだろう。国家資格も取り上げられ、その罪を問われるはずだ。
 人体練成はもとより、錬金術師の禁忌なのだから。

 それをこの、いま会ったばかりの人間に話していいものかどうか。

 咄嗟に判断がつかず、エドとは互いに視線を交わした。
 そして、どちらからともなく小さく頷く。


「あ、いや、彼らは………」

「大佐」


 ロイは少々慌てた様子で咄嗟に弁護しようとしたのだが、それをエドが片手で押しとめた。
 ひとつ静かに息をついて。


「タッカーさんの言う事ももっともだ」


 覚悟を決めたように呟き、首もとにある留め具をはずして上着を脱ぎさる。
 黒のタンクトップ姿になったエドは、機械鎧の結合部までもを空気にさらした。


「………………なんと………それで、鋼の錬金術師と………」


 驚きにエドの身体をまじまじと見、タッカー氏はその隣のへ視線を移す。


「それでは君も?」


 は目を伏せたまま、ゆっくりと頷いた。


「…………左の腕と足が」

「そうか…………」


 神妙な顔をして呟いたタッカー氏は、一度深く椅子に腰を沈め、エドたちの話を黙って促した。









           *









 扉を開けたとたん、独特のにおいが鼻をついた。
 書物がひしめく室内。
 図書館のそれよりもほこりっぽい。
 しかし、感嘆の声をあげるには充分だった。

 それほどの蔵書量。
 一個人の持ち物としては、なかなかのものだろう。
 エルリック家も、子供三人が本に埋まってしまう程度には所有していたが、それとは比べ物にならない。


「すげ〜〜〜〜」

「よくこんなに揃えられましたね。あ、これ絶版になったやつ」


 エドは口をあんぐりとあけてあたりを見回し、は早速一冊の本を手にとって開き始めた。
 と、ふと思い直して懐を探る。
 取り出したのは細い眼鏡ケース。その中から銀縁の眼鏡を取り出しておもむろにかけると、すぐさま本へ視線を戻した。


「おや、目が悪いのかい?」

「……………」


 タッカーはそうに問いかけたが、しかしはピクリとも反応を示さない。
 一瞬妙な沈黙があたりに落ちたが………。


「姉さんは左目が見えてないんです。人体練成の反動で…………。普段は平気みたいなんですけど、やっぱり本を読んだりするときは見にくいらしくて」


 の代わりとばかりにアルが説明した。
 当のはといえば、一心不乱に本のページをめくっている。


「アル、オレはこっちの棚から見ていくから、おまえはあっちたのむな」


 エドもそう言うなり棚から本を取り出すと、文字に目を走らせ始めた。
 その顔つきは真剣そのもので、この分だとアルが返事を返したのにも気づいていないだろう。


「自由に見てていいよ。私は研究室の方にいるから」

「あ、はい。ありがとうございます、タッカーさん」


 もう既に本の世界へと入り込んでいる兄と姉を尻目に、アルは行儀よく頭を下げる。
 この様子を見ると、どうやらこれが彼の役目のようだ。


「私は仕事に戻る。君たちには夕方、迎えの者をよこそう」


 大佐の言葉に反応したのも結局アルだけで。
 エドとの二人は、本を手にとってから一度も顔をあげることがなかった。
 その三人を置いて、ロイとタッカーは資料室を後にする。


「すごい集中力ですね、あの二人。もう周りの声が聞こえていない」


 タッカーは、邪魔にならないようにとの配慮なのか、そっと扉を閉めて向き直った。
 感心しているようにロイに笑いかける。


「ああ………。あの歳で国家錬金術師になるくらいですからね。ハンパ者じゃないですよ」


 かえってきたロイの言葉にしかし、タッカーは顔をうつむけてぼそりと呟いた。


「…………いるんですよね、天才ってやつは」


 それがロイに聞こえたのかどうかはわからない。
 それほどかすかな呟きだった。












 いったいどれくらいの時間が過ぎていたのだろう。
 ついさっきまで、大佐やタッカー氏がいたような気がしたのだが。

 ふと顔をあげたの右隣には、座り込んだよりも高い本の山ができあがっていた。
 手の中には未読の書物。
 積み上げられている物は全て、既に読み終えたものばかりだ。

 いつもならこんな中途半端なところで気が逸れることはない。時計を見れば、まだ二、三時間ほどしか経っていないようだ。
 にもかかわらず、こうしてが意識を取り戻したのには理由があった。

 向かいの本棚の影から、じっとこちらを見つめてくる視線。

 水色のスカートと、少しくすんだ金髪の長いおさげが見え隠れしている。その後ろからは、のっそりと大型犬が顔を出していて。
 がそちらへ視線を向けると、おさげとスカートは驚いたように一度だけ跳ねて、ささっと本棚の後ろへ隠れてしまった。


「……………」


 は黙ったまま、じっとそちらを見つめ続ける。
 しばらくそうしていると、またすぐに先ほどと同じく、おさげとスカートが影から姿をあらわした。
 今度は顔を半分だけ覗かせて、上目づかいにこちらを見る。


「………………」

「………………」

「………………」


 しばらく無言で見つめあった後、は不意に微笑んだ。


「こんにちは」


 膝の上においていたハードカバーの本を少しずらして、手招きする。
 すると、おさげの少女は嬉しそうに近づいてきた。
 もちろん、大型犬も一緒に。


「ねぇ、おねえちゃんはおとうさんのお客さま?」


 小首をかしげる少女には少し笑って、そうだよと頷いてみせた。


「お父さんにお勉強の本を見せてもらいにきたの。ニーナはアレキサンダーと遊んでるの?」

「うん」


 そう元気に頷いたニーナだったが、すぐになにかもじもじと恥ずかしそうにしだす。
 その意味を察したは少しだけ考える素振りを見せ、そしておもむろに開いていた本を閉じた。積み上げた山とは違う場所へ置く。
 その様子を不思議そうな顔で見ていたニーナは、次に言ったの言葉で心底嬉しそうに笑うのだった。


「おねえちゃんもまぜてくれる? いつもなにして遊んでるの?」


 眼鏡を取ってケースに入れる。


「いいの!?」


 と期待に満ち満ちた目でこちらを見上げるニーナに笑って。


「いいよ。あんまり根詰めると、目に悪いから」


 一度大きく伸びをして立ち上がった。
 服にほこりがついているような気がして軽く払う。


「こん…………?」

「ああ、ずっと長い時間、おんなじことをするっていうこと」


 言葉の意味がわからなくて首をかしげるニーナに、そう説明してやった。


「あ。アル?」


 二人手をつないで資料室を出ようとしたとき、本棚の影にうごめく大きな影を見つけて、は立ち止まる。
 声をかけると案の定、その巨体はくるりとこちらを振り返った。


「あれ、姉さん。どうしたのさ」


 めずらしいね、とその視線が言っている。
 いつもならまだ本を読みふけっている最中のはずなのに。
 アルはそう考えて、姉の手の先にいるおさげの小さなかわいい女の子を見つけた。

 この巨大な厳つい鎧を怯えることなく見上げている少女は、どちらかといえば好奇心満載な目をしている。
 そんな表情を見て取ったは、アルに向かってにっこりと微笑んだ。


「アルも一緒に遊ぶ?」


 とたん、輝くニーナの表情。
 それを見たアルが、断れるはずもなく。
 金髪の少女とおさげの女の子と、大きな犬と巨大な鎧は、連れ立って資料室を後にしたのだった。





2005/05/30 up




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