10 不本意? なご対面
「や、鋼のに白銀の」
その声を聞いたとたん、エドの顔が激しく歪んだ。
眉間というか顔の中心に深い皺を刻んで、心底嫌そうな顔をしている。
「なんだね鋼の。その嫌そうな顔は」
すっかり犯行グループの逮捕も終わって、後は護送と事後処理のみとなった現場に、副官を伴って現れたのはロイ・マスタング大佐だった。
「くあ〜〜〜〜、大佐の管轄なら、放っときゃよかった!」
やはりその事実に気づいていなかったエドは額に手を当てて呻く。
その様子に、はくすくすと笑いを漏らして。
「こんにちは。お久しぶりです、マスタング大佐、ホークアイ中尉」
アルと共に礼儀正しく挨拶をした。
「こんにちは、ちゃん、アルフォンス君」
ホークアイ中尉は優しく微笑んで返してくれる。
大佐の方は微笑んでくれてはいるのだけれど、それは微妙にニュアンスが異なっていて。
「ああ、白銀の。元気そうでなによりだよ。このあと予定はないんだろう? ぜひ司令部によってお茶でも……………」
「なに勝手に人の妹ナンパしてやがる」
目ざといエドに鋭く睨まれた。
ロイはそれに心外だという顔をする。
「ナンパとは失礼な。私はただ純粋に、白銀のとゆっくり話をしようと」
「どぁれがロリコン大佐なんかをに近づけるか!」
しかしエドは害虫でも見るような目つきでロイを威嚇した。
エドとロイの馬が合わない原因はこの辺にある。
女に関しては百戦錬磨を自称する色男ロイと、に近づく男は全員害虫扱いのエド。
エドに言わせれば他にも色々あるのだろうが、傍から見ていて一番の原因はこれと思われた。
つまりはことあるごとにをかまおうとする大佐に、エドが警戒心を強めて威嚇するのだ。
そのことをはなんとなく理解しているのだけれど、こればかりはどうすることも出来ず。
エドを怒らせるのは避けたいが、ロイが嫌いなわけでもない。
あいだを取って、ロイとの距離をほどほどにしようとするのだが、そうする前にロイの方がすばやく近づいてくるか、エドが激しく威嚇するのだからもうお手上げである。
こんな時は二人が言い争っている間にアルの後ろに隠れるか、その場を離れてしまうに限るのだが。
今回は都合よく後者の策がとれそうだった。
「エド、私荷物とってくるから!」
「え? あ、おい、!」
最初に座っていた車両に鞄を置きっぱなしにしていたため、軍の人がそれを運び出しているのが見えたのだ。
はエドが呼んでいる声を背中に聞きながら、そちらの方へ駆け出してしまった。
「ったく、あいつは。一人でうろちょろするなって言ってんのに………」
エドが溜め息をついてぼやく。
それを聞いた大佐は、腕を組んでエドを見下ろした。
「君の過保護も相変わらずだな。白銀のは君と同い年だろう。もう少し信用してやってはどうかね」
エルリック兄妹の絆の強さは知っているが、に対するそれだけは少々行き過ぎではないかと思われる節がある。
いくら兄妹のうちでたった一人の女の子とはいえ、これでは本人が不便ではないのだろうか。
ロイのそんな考えを知ってか知らずか、エドは右手でがしがしと頭をかき乱した。
「―――信用はしてるさ。あいつはオレより冷静だし、意外なところでしっかりしてるからな」
「ほう、自覚があったのかね」
兄の自分よりも、妹ののほうが冷静だという。
大佐のその言葉に、なんだとコラと一応啖呵はきったものの、エドはそれ以上突っ込まずにふいと目をそらす。
少し神妙な顔をして。
「腕や足がなくても、機械鎧があれば不自由はしない。けど、視力は………目だけは、そういうわけにもいかないだろ。片方だけしか見えないってのは、意外と不便らしいんだ」
そう呟くように言う。
が外を危なげなく歩けるようになるまで一年かかった。
今でも人ごみを歩くのは苦手だし、つまずくことも珍しくない。明暗の差が激しい場所では、一瞬視界を奪われることもままあるようだ。
本人はこんなことはなんでもないから心配するなと言うけれど。
慣れた土地で過ごすのならばそうだろう。しかし、自分たちは見知らぬ土地を渡り歩く生活をしているから。
どうしても過保護にならずにはいられない。
「……………まだ、元に戻れてはいないのだね」
ロイがエドの腕を見て言う。
過激派のリーダーを叩きのめす時に、咄嗟に練成したせいで左手の手袋が破れてしまっていた。
剥き出しになっているのは鋼色の機械鎧。
「文献とか調べてるけどなかなかね………今は東部の街をシラミつぶしに探し歩いてんだけど、いい方法はまだ見つからないな」
昨日も徹夜したと言うエド。
列車の中でエドとが起きなかったのは、昨夜の無理が祟ってのことだったらしい。
ちなみに肉体のないアルは、徹夜しようがなにしようが、そんなことは一切関係がない。食事が必要ないように、睡眠も必要ないのだ。
「噂は聞いてるよ。あちこちで色々とやらかしてるそうじゃないか」
「げ、相変わらず地獄耳だな」
「君の行動が派手なだけだろう」
二人の会話を後ろで聞いていたアルが、ロイの言葉に無言でこくこくと頷いていた時。
「ぎゃっ!」
「ぐわぁ―――!」
駅構内の騒がしい喧騒の中に、二つの悲鳴が突如として上がった。
そちらに目を向けてみれば、エドに斬られた銃器型の機械鎧から刃物をのぞかせた犯行グループのリーダーの姿が。
その横には彼を取り押さえていたはずの軍人二名が、血を流して倒れている。
男の目は血走り、すっかり冷静さを欠いているようだった。
「うわ、仕こ………―――っ!」
仕込みナイフと言いかけたエドの身体が固まる。
なぜなら、視線の先に自身の片割れの姿があることに気づいたから。
鞄を抱えたは、悲鳴が上がったほうを振り返っている。
凶刃を持つ男との距離は、誰よりも近い。
「! 逃げ―――っ!」
「伏せたまえ、白銀の!」
エドが叫んだのとロイが警告したのと。
アルとリーダーの男がに向かって駆け出したのと。
いったいどれが先だったのだろうか。
しかしあいにくの視界は左側がふさがれていて。
声に反応して顔をめぐらせかけていたの視界にかろうじておさまっていたのは、自分に突進してくる凶刃の男の姿ではなく、こちらへ駆け寄ろうとしているアルフォンスと、白手袋の右腕を伸ばし、指を鳴らそうとしている大佐の姿だった。
咄嗟に、どれが一番速く結果となって現れるのかを判断する。
次の瞬間、腕の中にあった鞄を手放して、両の手を音高くあわせた。
身体を向けたのは血にまみれた刃を持つ男の方。
操作するのは大気中の二酸化炭素。
振り上げられたそれを見て、まっすぐに手を突き出した。
とたんに起こるすさまじい爆風と炎。
「があああああああっ!」
それにまかれた男はもんどりうって倒れ伏し、至近距離にいたも後ろに吹き飛ばされた。
しかしその身体が地面に叩きつけられる直前、アルの両腕がそれを受け止める。
「姉さん!」
「!」
間髪おかずに駆け寄ってくるエド。
しばらくアルの腕の中で身体を丸めていただったが、意識を失っていたわけではないらしく、すぐに身じろぎした。
その服や顔は少しだけススけているが怪我は見受けられない。
「大丈夫か、!?」
「ケガは!?」
必死の形相でしきりに心配するエドとアルに、は大丈夫だと言って苦笑を浮かべる。
「あはは、咄嗟に大佐の炎から逃げなきゃと思って目の前に二酸化炭素の壁作ったんだけど、それよりも爆風の方を止めるべきだったね」
大佐が発火布と錬金術で起こした炎は、の練成によって空気中に現れた二酸化炭素の防壁によって遮られ、標的の間近にいたに届くことはなかった。
もっとも、大佐の言葉どおり伏せていれば問題なかったのかもしれないが、それよりも先にの頭は、空気中の成分を操作する構築式をはじき出していたのだ。
「あははじゃねぇよ…………心配させんな」
エドは心底脱力しての肩口に額を押し付ける。
はエドの頭を軽く抱き、空いている左手でアルの手を握った。
「ん、ごめん。アルもありがとね。助けてくれて」
そんな兄妹たちの姿を見ての無事を確認したロイは、あらためて自分がたった今燃やした男の下へと足を向ける。
そして憲兵に押さえつけられている男を尊大に見下ろした。
「白銀のに感謝するんだな。彼女のおかげで消し炭ならずにすんだんだ」
そうでなければ手加減なぞしなかった、と、目が口ほどにものを言っている。
リーダーは歯軋りしてロイを見上げた。
「ど畜生め………てめぇ、何者だ!」
顔をあげることさえままならない体勢で、それでも男はその粗野な態度を崩さない。
きっと、なぜ爆発が起こったのかさえわかっていないだろうに、その根性だけは見上げたものだとロイは思ったのだが。
だからと言って、余計な仕事を増やしてくれた迷惑男に敬意を払うつもりなどこれっぽっちもなく。むしろがいない今、さくっと燃やしてしまおうかなどと考えたのだが、それはそれであとの事後処理が色々大変になるので考えるだけにしておいた。
余裕の笑みを浮かべて彼は名乗る。
「ロイ・マスタング。地位は大佐だ。そしてもうひとつ――――『焔の錬金術師』だ。覚えておきたまえ」
これから豚箱に入り、おそらくは二度と出てくることはないであろう男に向かって吐く言葉ではなかった。